読書日記

『漂砂のうたう』 <旧>読書日記1558 

2024年02月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記


木内昇『漂砂のうたう』集英社(図書館)

久しぶりに著者の作品を読み、図書館の本を検索したら本書があったので予約して借りた。出版されたばかりで世間の人気がある本は多くの予約があるが、少し時が経ってしまうとほとんど借り手もなくなるようで、予約は無く、早ければ即日、普通は翌日か翌々日に準備が整い借り出すことが出来る様になる。

ということで本書も2011年の直木賞受賞作であるが、予約申込日に借り出せた。

御一新から10年。武士という身分を失い、根津遊廓の美仙楼で客引きとなった定九郎。自分の行く先が見えず、空虚の中、日々をやり過ごす。苦界に身をおきながら、凛とした佇まいを崩さない人気花魁、小野菊。美仙楼を命がけで守る切れ者の龍造。噺家の弟子という、神出鬼没の謎の男ポン太。変わりゆく時代に翻弄されながらそれぞれの「自由」を追い求める男と女の人間模様。

というのがAmazonによるあらすじ紹介である。きれいにまとめるとそうなるかも知れないが、定九郎は(名前に反して)定まることを恐れている。なにしろ、決まった住まいすら持たず、気まぐれに数人の女の内の一人の家に行っては朝まで過ごすという毎日である。また、明治の風潮として「自由」ということを新政府は言ったかもしれないが、当時では意味不明の言葉であったろう。

もう少し加えると、定九郎は「わっちは頭が弱いから、なんにもわからねぇんだよ」が口癖であり、店の職階的にはNo2の立番であるにも関わらず勝手に持ち場を離れることも多く、そのたびにNo1である妓夫太郎(ギユウタロウ)の龍造に叱られてばかりである。

話は吉次という定九郎の別の店での以前の同僚が、美仙楼の小野菊の引き抜きを図りそれを定九郎に手伝わせ、花魁道中を行う小野菊に恥をかかせる。その夜、小野菊はどうやってか妓楼から姿を消し、慌てて捜しに出た定九郎の目の前で神田川に身を投げる。

受賞記念のインタビュー(https://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i2_201104.html)によると

「今の世相と同じように、閉塞感を感じさせる物語を書いてみたかった」
「根津遊廓は明治二十一年に洲崎に移ります。今では根津に遊廓があったことを知る人は少ないでしょう。同じ遊廓でも吉原に関しては資料が残っているんですが、根津はほとんどないんです。現実と虚構の間を表現できる、不思議な感じのする場所を舞台に選んだ」
「どうしていいか判らない人として定九郎を描いた」
「ポン太は三遊亭圓朝の実在した弟子なんです。」

「漂砂≠ニは、潮流で砂がうごめく運動のことを言います。水底では水面からは見えないけれど何万粒もの砂が動いている。時には崖下も擦って侵食し、崖を崩してしまうこともあるそうです。連載をしていたときは漂砂≠フ意味をポン太が語るシーンがあったのですが、単行本にするときに削除しました。」
(2021年8月25日読了)



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