花かるた

知床ヒグマの酩酊事件 

2023年11月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

1996年5月、知床半島の無人の番屋がヒグマに荒らされている
のが発見された。5月31日付の毎日新聞夕刊は
「ヒグマが酒盛り!?」の見出しで事件を詳報している。

荒らされたのは羅臼町から40キロ離れた知床半島に点在する
船でしか行けない5軒の番屋で、窓や玄関が破られ、冷蔵庫が
倒されるなどの被害があった。

《缶ジュースなどはツメで器用に穴を開け中身は空っぽだっ
た。ある番屋では缶ジュース約200本、日本酒の一升瓶2本が
空で缶ビールはケースの半分に手をつけていたが残りはその
ままだった≫  ビールよりも日本酒が好きらしい。


日本酒といえば、明治20年頃の積丹半島、神恵内村で
次のような笑い話も記録されている。


《ある朝、若者が例のドブロクを飲むために小屋に入ると
 ドブロクはあたり一面に流れているし、大きな桶は
こなごなに壊れていた。驚いた若者は大声で「大変だぞう」

と叫ぶとみんなが集まってきた。その中の一人がふと山を
見ると裏山の急斜面を二頭の大熊が登ったり、ころがり落ち
たりしていたがその格好は、何かに浮かれて踊っているよう
だった。さっそくみんなでとり押さえたのだが、その腹の中
には、少なくとも一斗五升位(約27リットル)のドブロク
が入っていたとか。熊は一晩中ドブロクを飲んで、夜明け近く
まで酔いつぶれていたが夜が明けたので、急いで山に帰るの
に急斜面を登ろうとしたものの、腰が抜け捕らえられ
はかなくもカムイと化しました。

 私は九十才を超える今日まで、熊の酔っぱらいを見たのは
 初めてです》

『古老が語る神恵内』神恵内村/昭和57年、澤口喜代松談)



また増毛村岩尾集落では
《二斗だる14本の酒を一夜に熊に飲みつくされたることあり》
『増毛町史』川崎幸作の証言)とある。
二斗=36リットルなので、14本というと504リットルである。


人家に侵入して冷蔵庫を漁るなどの被害は、他にも報告されている。

1988年7月17日付の朝日新聞日曜版に、羅臼町の漁師宅で起こった
ヒグマ闖入事件の顛末


1987年9月15日のこと。真夜中に目が覚めたコノエさんは
トイレに立った。そして床に戻った直後、さっき通った
ばかりの台所から「ガラガラーン!」とものすごい音がした。
クマだと直感した彼女は夫を起こし、足音を忍ばせて2階に
寝ている長男夫婦のもとに避難した。

再び台所が騒がしくなった。セトモノの割れる音や何かを
食べる、ドターン」と家が震動するほどの音がした。

電話は下の居間にあるので、かけられなかった。
意を決した長男が階段を降り、電話線を引っ張って電話器を
たぐり寄せ、妻の実家に電話した。ヒグマを驚かそうと
目覚まし時計をセットして投げてみたが、落ちた弾みで
電池が外れてしまった。

万策尽きてヤケクソになった長男が「ワーッ」と叫んだ。
すると台所の気配がピタリと止んだ。さらに何度も叫んでみた。
まもなく家の外に、山のような巨体がのっそりと現れて
畑の方に消えていったとか。

猟師が到着して足跡を追うとどうやら子熊も連れていた
らしい。さらに現場検証を進めた結果ヒグマとは思えない
「礼儀正しさ」??に人々は驚いたという。

《刺身や揚げ物などの皿が冷蔵庫から取り出され食べた
あとの皿が割れもしないで六、七枚重ねてあったという・・?
(これは流石に、脚色デショウ??)
さらに、一升瓶の清酒があったのだが、倒れて空にされ床に
こぼれた形跡もなく、ヒグマが飲んだに違いないとも。
梅干しとピーマンは嫌いらしくて手つかず。メロンは表面の
薄い皮だけきれいに残し、ほとんど芸術的ともいえる器用な
食べ方だった》

台所の引き戸は窓が割れていたものの「正しく」
引き開けられていたし生ゴミには一切手をつけず最初から
冷蔵庫が目的だったかのような荒らされ方だったという。

17日深夜には、漁師宅から500mほどの民家で、勝手口ドア
ガラス3枚などが壊される被害があった。家族4人は家の中
で、じっとして無事だった。

そして22日朝、犯人と見られる親子熊が射殺された。
母グマは体長約1.5メートル、体重約120キロ。5歳の雌グマで
現れた場所、ツメの大きさなどから、台所を荒らした熊と
同定された(北海道新聞9月22日夕刊)。



ヒグマの知能が高いというのは、古くから指摘されている。

開拓当時の移民の間では年齢を経たヒグマが人間の言葉を理解
すると信じられていた。そのため山中でヒグマについて
語ったり
悪口を言うことは固く禁じられていた。ヒグマのことを
「山親爺」という「隠語」で呼び習わすのも、そこから来ている
ようである。

『北海道熊物語、寒川光太郎に興味深い挿話が収録されている。


《ヒグマに作物を散々に荒されたある寡婦が、絶望のあまり
その畑に佇、誰へといふわけではなく、綿々と恨み言を訴へた。
するとその翌日のこと、貧しい彼女の住居の前に夥しい新鮮な
鮭が山と積まれてあつたが、ーーそのどの一尾にも鋭い歯痕が
ついてゐたという》

思いがけない「お詫びの品」に驚喜する寡婦を森の奥でじっと
見守る山親爺……なんとも微笑ましい絵ではないか



ーーーーーーーーーーーーーーーーー以下
中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。
明治初期から
戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し
ヒグマ事件を抽出。データベース化。また市町村史、
各地民話なども参照しこれらをもとに上梓した神々の
復讐人喰いヒグマの北海道開講談社)が話題に。


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月あかり談

昔から動物と言うより動物記が好きです。最近とみに人里に
出没した熊報道が増えています。

今回はたまたま狂暴と思われている「熊」の抜粋でしたが
ある意味クマより、恐ろしいのが人間でではないかと。
特に近年。タガが外れた思い込み勘違い人間の増殖が怖い。

人間は良くも悪くも持って生まれた英知や知能を使って、常に
我こそは!!〜という人多数。しかし90%は勘違いの自惚れです。山親爺なる隠語と、語られる熊にあるまじき美談や力強さは何やら日本人に重なって見えなくも無い。

この世は成るように成る・と言いたくない私は未だ青いのか?



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