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迷いあってこそ私

やっぱり鳥撮りが好きだ 

2023年11月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



お洗濯を干していると、ひよどりの鳴き声に交じってシジュウカラが騒ぐ。

そして ちょっと違うぞとかすかに聞こえる鳴き声。
自転車5分の近場の森には行けないけれど、
遠くても自転車で10分(笑)の誰もいない公園に行ってこよう。
この日は5000歩あまり。
ここなら リズムよく楽しく カメラを持って広い自然公園を歩くことができる。

我が家にゴールデンのトワというわんこが居た。14年、付き合ってくれた。
でも 事情があって彼女の最期には付き合えなかった。
「弱ってきているよ」との連絡を受けて当時新潟で働いていて、急遽会いに帰ってきた。
私を見るなり、いっぱい舐めてくれて私もいっぱい抱きしめた。
そして 帰る姿を優しい目で見送ってくれた。
それから すぐに亡くなった。
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さいたまの家に戻ってトワの居ない生活。どうしようもない。
ペットショップに行ってトワの代わりを務めてくれるわんこを探した。
でも、 
旦那さんは頑として許可してくれない。
(私と違って溺愛はしないけれど、彼が一番面倒を見てくれた)
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ずっと しばらくして 私はカメラで鳥を写すことを知った。
ありえない妄想の世界を楽しんでいる。
カメラを通して野鳥と目が合い、誘われるようなからかうような仕草が可愛い。
もちろん ドクターイエローも好き。
機関車や列車も、蝶々も好き。手ごわいのは大自然。
わんこが居なくて、鳥の仕草に癒されているのかな。
(孫たちは全く別領域)
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カモの群れに ハクセキレイにセグロセキレイ、しかも翡翠まで。
公園にお散歩に来られていたご夫妻から「よい写真が撮れましたか」と優しく声をかけていただく。
ひとり、にやにや 興奮していることがばればれです。
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さて ここからは 小さな字で書く私事です。
重い話もあり 面倒くさいので 私の備忘録の一つとして スルーされて大丈夫です。
私はには6人の姉と4人の兄がいます。
明治44年生まれの父と大正2年生まれの母はなんと恋愛結婚。
この夫婦のこともやがて書いておこうと思います。
でも、この二人とも74歳と72歳で亡くなってしまいました。
仲の良い姿のまま、でもそのあとの年老いた二人を見ていないので、後期高齢の生き方が見えない。
今生きている兄弟は84歳、82歳、81歳の姉と70歳の兄。そして私。
正直、姉たちはすごく元気で80代になってなおかつ大活躍です。
先に亡くなった姉の一人と兄の一人について。
兄の一人は高校を卒業した頃に
姉は第2子を出産したのち、統合失調症を発症しました。
昭和20年30年代ではまだこの病気は秘密事でした。
止む無く兄の入院治療を進めるにあたり、ほかの兄弟からどれほど苦情が出たことか。
自分の家にはまだ嫁入り前の娘がいると言うきょうだいもいました。
姉の方はすでに結婚をしており、この病気になったのは自分のせいだと考える義兄は、本当によく世話をしてくれました。
「智恵子抄」の二人のようでした。
大手銀行の支店長という過酷な状況にあっても姉を守り抜いてくれました。
姉の病気についてとうとう知らないままのきょうだいもいました。
ただ、統合失調所よりも大変だったのは認知症かもしれません。
姉の娘たちは義兄の負担を考え早々に施設への入所を進めますが、義兄自身目の病気になってほとんど目が見えにくくなっているにかかわらず。
頑なに施設入所は受け入れません。
しかし、進行する認知症にはかなわずようやく了解してくれました。
わずか2年もしないうちに義兄も施設入所することとなり、同室部屋となりました。
姉も義兄も夫婦であることはわかっているようでしたが、まるでここで出会って再び恋をしているかのように恥じらいお互いを惹かれあいました。
いつも手をつなぎ、悪かったこと、つらかったこと、迷惑を受けたことなど一つも覚えていません。
姉の娘と呆れ、でもいつも笑顔で二人を見守ることができました。
その生活も長くは続きませんでしたが、がんで亡くなった姉を追うように義兄も亡くなりました。
高校を卒業ごろに発症した兄についてはまた今度書き残したいと思います。
姉を大切に思ってくれた義兄のことと、幸せだった姉のことでした。
端から見たらなにがって思う人もいたかもしれませんが、姉の娘と私はそう思っています。

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