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敏洋’s 昭和の恋物語り

[宮本武蔵異聞] 我が名は、ムサシなり!(二十三) 

2023年09月15日 外部ブログ記事
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(京の地 三)
「お名前をお聞かせ願えませんかな。失礼ですが、その出で立ちを見ますと、諸国を巡っての修行途中と思われますが、どちらをお回りで」
 道々問いかける相模屋に対して、素直に答えるムサシだった。警戒心が湧かないわけではなかったが、相模屋の温和な口調に気持ちが凪いでいった。難破した舟から助け出されて漁師に育てられたことやら、南蛮人だと大人たちに疎んじられてその子供たちとの諍いが絶えなかったことやらを語った。そして村を飛び出して寺の小坊主として生きる羽目になったものの、そこでも先輩小坊主の陰湿な行いに遭い飛び出してしまったことも。そして南蛮人の街だと聞いた長崎方面に向かう途中だと告げた。
 十日、二十日と過ぎて、ひと月を越えた後のこと。毎日を無為に過ごしているムサシに対して「ムサシさま。吉岡清十郎さまを倒せば、京随一の剣士となります。さすれば、武芸を奨励している藩より、お声がかかるやもしれませぬぞ」 と、番頭が耳打ちしてきた。
 庄左衛門の意を受けて、ムサシの力量をはかるために申し出たのだ。ムサシの心底を探る意味もあった。「武士として身を立てるつもりだ」と庄左衛門に明かしてはいたが、徳川の世となり戦乱の時は過ぎている。よほどの名声がない限りは、諸藩としても召し抱えることはない。あの藩は浪人を仕官させているといった噂が公儀の耳にでも入れば、どんな難癖を付けられるやもしれぬ。
あの豊臣家ですら、なのだ。弁明がうまく通ったとしても、さらには些細な事柄を大事として声高にそして居丈高に問い詰められる。辛抱たまらずその使者に刃向かおうものなら、良くて領地換え最悪時にはお取り潰しとなってしまう。

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