読書日記

『駆け入りの寺』 読書日記230 

2023年07月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書日記


澤田瞳子『駆け入りの寺』文藝春秋(図書館)

題名を「駆け込みの寺」と誤読して、縁切り寺すなわち鎌倉の東慶寺あるいは上州の満徳寺(現在は廃寺)を題材にしたものかと思っていた。

内容紹介によると
誰にだって、逃げ出したい時がある――
悩みを抱える人々が、駆込寺の門を叩く。

落飾した皇女が住持を務める比丘尼御所。
そのひとつである林丘寺では、前住持であり後水尾帝の皇女・元瑶と、
現住持である霊元帝の皇女・元秀を中心に、宮中と同じような生活が営まれていた。

四季折々の年中行事、歴代天皇の忌日法要を欠かさず行い、
出家の身でありながら、和歌管弦、琴棋書画を嗜む。
尼たちの平穏で優雅な暮らしのなかに、
ある日飛び込んできたのは「助けてほしい」と叫ぶ、若い娘だった――。

現世の苦しみから逃れた、その先にあるものとは何なのか。
雅やかで心に染み入る連作時代小説。

うーん、これを読むと寺は違えどやはり駆け込み寺の話か・・と思ったらそう簡単では無かった。

と言うのは別の紹介では
比叡山のふもとに建つ豪奢な比丘尼御所。二人の皇女を中心に公家文化が息づくこの寺に、それぞれの苦しみを抱えて逃げてくる者たちがいた。古い友人から借金をして逃げた老女。非の打ちどころのない縁談から逃げる若者。妻子を捨てて出奔した武士。幼子を寺の前に捨てる老夫婦。「僧尼とは古来、いたいたしい者を助け、手を差し伸べるが勤め」心があたたかくほどける連作短編集。

つまり駆け込んでくるのは離縁を求める女性ばかりでは無く、時代も中世も末頃であって江戸幕府の支配がようやく固まってきた頃である。ちなみに比丘尼御所というのは「(中世の比丘尼御所は)天皇家、将軍家、摂関家などに生まれた女性が住持となった尼寺で、厳しい戒律や修行を目的としたものではなく、その環境を引き継いだ御所的な生活を送る場所であった」とされていて「近世の比丘尼御所は公家方の女性が住持を務め、幕府から公家方支配を受けており、朱印状による知行安堵を受けている寺院を言った。」さらに「寺主を皇女が務める御宮室と公家の息女が務める御禅室があり、幕末には御宮寺8箇寺があった」

舞台となっているのは林丘寺という寺でこの寺は幕末の御宮寺8箇寺の一つという設定である。語り手は梶江静馬という25歳の青侍(貴族・公家の家政機関に勤仕する侍のこと、ここでは寺に勤めている侍)。静馬はまだ赤子の時に両親が家事に巻き込まれ、林丘寺に引き取られて育つ。さらに7歳の時に養子に出されるがこの養父母も洪水で死ぬ。以来、前住持であり後水尾帝の皇女・元瑶の手元で育ちおのずと青侍となっている。

全体で「駆け入りの寺」「不釣狐(ツラレズノ キツネ)」「春つげの筆」「朔日氷(ツイタチ ゴオリ)」「ひとつ足」「三栗(ミツグリ)」「五葉の開く」の7編で構成されている。上の紹介ではごく簡単に話の内容が書いてあるが実際にはかなり入り組んだ話もあり、作中で話されるのが御所ことばであって(その意味をこのように括弧書きで記す)少し流れが滞る様な文体でもある。

著者は下調べが綿密なことでも知られていて、参考文献に『尼門跡の言語生活の調査研究』と言う本があるので、きっと御所言葉をそのまま本文に使おうという気持ちであろう。話はいずれも前住持の元瑶ののほほんとした性格が発揮され、柔らかく落ち着くところに落ち着くのである。
(2023年6月30日読了)



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