読書日記

『銀杏てならい』 <旧>読書日記1406 

2023年07月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:<旧>読書日記

西條奈加『銀杏てならい』祥伝社文庫

「銀杏手ならい」「捨てる神 拾う神」「呑んべ師匠」「春の声」「五十(イソ)の手習い」「目白坂の難」「親ふたり」の7篇からなる短篇連作である。

子に恵まれず離縁され、実家の手習い所「銀杏堂」を継ぐことになった24歳の萌。「銀杏」はイチョウではなくギンナンと読ませる。父は嶋村承仙、生まれは商家であったが幼い頃から学問に秀で商いにはまったく関心を示さず、学問三昧の日々を送ってきた。承仙の妻、つまり萌の母である美津は御家人の娘であったが、行儀見習いに出た旗本の家で若君に学問を施していた承仙に出会い、わがままを通して一緒になった。

二人は読み書きそろばんを承仙が教え、美津は10歳以上の女子に作法や茶道などを教える「銀杏堂」を小日向に開いて25年以上経つ。1年前に出戻りとなった萌を前にして父の承仙は隠居を言いだし、半年前には以前の学問仲間に会いに行くと言って上方に旅立ってしまった。手習い所に通う二人の悪童をいさめる中で萌が捨て子であったこと、離縁された理由が明かされるというのが初めの「銀杏手ならい」の粗筋。

以下「捨てる神 拾う神」では銀杏堂の前に女の赤ん坊がが捨てられていて美弥と名をつけて萌が育てることになる。「呑んべ師匠」はのんべ先生と言われて子どもたちからも慕われている近所の「椎塾」の主、椎葉哲二の登場。困ったことがあれば椎名に頼れと父は言ったものの酒が好きでいつでも飲んだくれている様な感じの椎葉を萌は苦手である。が、萌は寺子(生徒のこと)の一人のことで椎塾に行ってみてその型破りな教育法と「頼れ」と言った父の言葉に納得する。
「春の声」は五穀会という手習い塾の師匠たちの集まりに参じた萌の話。この会は萌の父の承仙、会場となっている志水館の当主国村水鴎と春声庵の茂子というう3人の師匠で始めた親睦会であるがもう18年も続いている。この席で萌は茂子から「生徒に好かれようとしてはいけない」という教えを受ける。
「五十(イソ)の手習い」は父親が急死して手習い所へ通えなくなった寺子とその子が弟子入りしようとしている型彫師五十蔵の話。五十蔵は頑なに弟子は取らないと言うのであるがその真相は五十蔵自身が文字の読み書きが出来ない為であった。「目白坂の難」は寺子たち6人がそのうちの一人の娘の姉のためを思って荒れ果てた屋敷跡に薬草を捜しに入り一晩を越すことになる話。「親ふたり」は銀杏堂を伺う怪しい男がうろしき、あげくに美弥が攫われてしまうという騒動。美弥の実の母親が一度捨てたわが子に会いたいと思ったのが騒動の原因であったが、このことを通じて萌は改めて美弥の母親としての覚悟が定まる。

舞台建てや魅力的な登場人物から充分にシリーズ化が出来そうな話であったが、どうなるか。ただ、現代日本の教育問題を置き換えたような教育観には少しだけ問題を感じる。例えば、のんべ先生による世間からはじかれた子どもたちを生徒の長所を伸ばす教育法で救うというのは時代物としてはどうなんだろうか、と感じてしまう。何しろ教育にはお金がかかるものであるから・・
(2020年12月26日読了)



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