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『兵士に聞け 最終章』 <旧>読書日記1334 

2023年02月09日 ナビトモブログ記事
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杉山隆男『兵士に聞け 最終章』新潮文庫

1992年の『兵士に聞け』から始まり「兵士に聞け」、「兵士を見よ」、「兵士を追え」、「兵士に告ぐ」、「『兵士』になれなかった三島由紀夫」、「兵士は起つ 自衛隊史上最大の作戦」と6冊を数える著者の自衛隊取材ルポのこのシリーズで、国防と言う重大な任務を背負いながら、国民にあまり知られることの無かった自衛隊、とくに兵士たちの生の姿を追い続け、見事なまでにその姿を浮き彫りにしてきた。
(なお私は「『兵士』になれなかった三島由紀夫」は未読である)

本作では第1部「オキナワの空」では国籍不明機(ほとんどは中国機である)に対応する航空自衛隊、第二部「センカクの海」で中国の海洋進出により了解防護にあたる海上自衛隊と、自衛隊と中国軍が対峙する状況をリアルに描き出し、第三部「オンタケの頂き」で災害救助部隊としての自衛隊の側面を描き出す。

しかし、以前の「兵士シリーズ」に比べて何か物足りないものが残る。それは4年ぶりの所為なのか、著者も書いている様に著者の年齢が自衛隊の定年(54歳)を上回ったからなのか・・しかし、答えはあとがきにあった。

それは取材環境の激変であった。このシリーズを書き始めた時には「たとえ、秘の塊の潜水艦に乗り込み訓練後悔に同行した時でさえ、誰も同席せず、隊員との一対一の差し向かいで話を聞くことがかなえられていた」のに対し、「今回の取材ではそれが一変した。インタビューには時得て鯛の広報が絶えず立ち会い、私が歩くところには必ずお目付役のようにして基地の幹部がついて回った」という(p.306)。

隊員たちは、もちろん「兵士」であることに変わりはないが、あくまでひとりひとりとしてそれぞれの顔を持ち彼らの人生を生きる「個」なのだ。しかし等身大の彼らから洩れてくる囁きやつぶやきを拾い集めることが困難となってはもはやいままでのような「兵士に聞け」を書くことはできないなと言うのが忸怩たる思いながら正直なところである。(p.307)

この20年間で自衛隊に対する国民感情も大きく変化したと同時に自衛隊のあり方も日米関係も大きく変わった。いまや日米同盟という以前なら相当に刺激的であった言葉が平然と語られ、異和感無しで使われている。同時に米軍の補間戦力としての自衛隊…米軍指揮下の自衛隊…という側面が色濃くなっていくなかで、米軍に絡む諸事項を巡っての取材制限など。確かにもう「兵士に聞け」ないのかもしれない。私たちの知る権利が狭まっていることは確かなのだろう。
(2020年6月1日読了)



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