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敏洋’s 昭和の恋物語り

キテレツ [ブルーの住人] 蒼い瞳 〜ブルー・ぼーん〜 

2023年02月05日 外部ブログ記事
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(六)追放
 しかし結局のところ、男は村をおいだされてしまいました。修験者の威光はぜつだいであり、平家の落ち武者である男ではまったく分がわるかったのです。「汝が名はなんとや! 正味の名をもうせい! しからば拙僧が、汝の正体をあばいてくれん!」「いやいや、それは……」 と口ごもるばかりの男の代わりに、女房がさけびます。「この人は、あらしであたまをやられてる。むかしのことは、まるでおぼえてねえのさ!」「笑止千万! そのような戯れ言で、拙僧をたぶらかせるとでも思うてか! 喝! 『リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ザイ、ゼツ、ゼン』」と印を切りました。と同時に、村人たちすべてがひざをつきました。おなかですらひざまずいたことは、男にとって思いもよらぬことでした。「わかった、おなか。わたしが身を引けばよいのだな。災いがなくなるよう、わたしもいのっていよう」「あんた、あんた、あんた……」 しかしその後も、森にはいりこんだ者の不幸はつづきました。あらたな修験者が通りかかったおりに、「ことのしんそうをつきとめてくだされ」と、村おさがたのみました。昨夜死亡した男を診たその修験者は、「これは祟りなどではない。なにか良からぬ物を食したせいだ」と断じました。 で、その村特有の土着宗教が、あらためて見直されたのです。村にのこる者たちにわけ与えることなく、おのれたちだけで食したがための事とされたのです。人間の食にたいするいやしさの恐ろしさを、村人たちは思いしらされました。「人間の食に対する性は貪欲で業が深く憎悪の根源である」という教えが、ふたたび村人たちに浸透したのです。決して神々の崇りではなく、人間の為せる業のせいだとなったのです。
(七)捜索
 おなかの必死の捜索がはじまりました。まずは森のなかに入りました。木の実をたべて、生きながらえているにちがいないと思ったのです。うっそうとした森の中を、日が上がると同時に歩きまわりました。 大声で、男をよびます。「あんたあ、あんたあ! あいが、わるかったよお! でてきておくれよお!」 と、よびつづけます。 しかし答える声はなく、その木々のあいだに吸い込まれていきます。二日三日と経ち、四日目からは村人そうでの探索なりました。「どうくつじゃないか?」 という声があがり、おなかがすぐに駆けだしました。たき火の跡がありました。たしかに居たようです。しかし男の姿は、すでにありませんでした。がっくりと肩をおとして帰るおなかに、村人たちが声をかけていきます。 皆口々に、「すまなんだ、かわいそうなことをした」と言います。まるで男の死亡をつげるがごとくにです。 しかしおなかは「しんどりゃせん! いきとる、そうにきまっとる!」と、村人たちの手を振り払いました。 どっぷりと日の暮れた道をあるくおなかの目に、こうこうと灯りのついた我が家が目にはいりました。あれは、まごうことなき我が家です。わら葺きの屋根と、庭のすみには痩せこけた柿の木があります。「あんた、あんた、だよね……」。脱兎のごとくに駆け込むおなかです。そして土間でわらを打っている男を見つけて、へなへなと座り込んでしまいました。「お帰り、おなか」 笑顔で迎えてくれた男に、「あんた、ごめんよ。ごめんよ、あんた」と、泣きじゃくるおなかでした。

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