メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ニャンコ座リポート

天秤にかける (5/28) 

2022年05月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 朝から・・・ですが、本文左下にある?Moreを、ぜひ音読してみてください。日本国憲法の前文です。涙が出るほどすばらしくて、そしてこの憲法(特に9条)を持っていること、誇りに感じます。
 今日も、重い話かなぁ。そんなこと無いですよね。 昨日パーキンソンの症状がひどい時は、もう生きていたくないと書きましたが、それは死にたいという意味ではないです。しいて言えば、比喩です。生きていたくないほどしんどいという。3年前に、ひどいうつ病になった息子と「死にたい」という思いについて、(そこそこ笑って)話します。 辛かった時「生きていてほしい」という励ましに、何てわがままなんだと腹が立ったそうです。これを聴いた時、驚いたしショックでした。「私のために死なないでほしい」と懇願したら、きっと息子の心に届くに違いないと思ったのです。でも違いました。息子に届いた言葉は、友人の「シン・ウルトラマンを見てからにしたら?」だったそうです。ちょっと前に見たそうですが、その時は死にたいとは思ってなかったので、事なきを得ました。わかりますか?「自分が死んだら、誰それが悲しむ、困る」という気持ちよりも、「もう生きていられない」ほど辛い、ということなのです。息子が死ななかったのは、痛いの嫌、苦しいの嫌、何より死ぬ元気もなかったからということらしいです。では何がありがたいか、どうしてほしいかと聞いたら、行動してほしいとのことでした。そばにいてくれる、世話を焼いてくれる、良い治療法を紹介してくれる、病院に連れて行ってくれる等々。息子は「条件反射制御法」で、救われました。あなたが死んだら私は悲しくて辛いと思うのは、あなたのためと言うより、自分のためなんですね。様々なことが、自分が心穏やかにいるためなんだなぁと、妙に合点がいきました。もちろんすべて、とは言いません。ここ何年か、高齢の知り合い(と言うほどの付き合いも無い)がアスパラを送ってくれるのです。上等なおいしいアスパラですが、正直いただく理由に、心当たりがないのです。年賀状も、何年か前に10日過ぎに来たので、もう出さない方が良いと判断してやめました。なのに翌年、出してないのにかかわらず、1週間位も過ぎてから来て戸惑いました。3年程前かな、電話がかかって来て、えらく恐縮した口調で、結局何を言っているのかわかりませんでした。寂しい?今年も2sのアスパラが。もう耐えられなくなりました。「私は一人暮らしだし、こんな高価なものをちょうだいする理由がない。これっきりにしてほしい」と、葉書を出しました。きっとがっかりするでしょう。相手の気持ちと自分の気持ちを天秤にかけて、私たちは生きているんだなぁ。札幌ドーム、行ってきま〜す。日本国憲法 前文 日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ