メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

吾喰楽家の食卓

寄居町の再開発(その1) 

2022年05月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:生活

寄居の地名のいわれは、鉢形城が落城した後、甲州の侍や小田原の浪士が、寄り集まり居住したからだという。
鉄道は、東武東上線、秩父鉄道、JR八高線が乗り入れている。
道路は、川越街道(国道254号)と秩父街道(国道140号)が、町内で交差している。
鉢形の鉢の由来は、植木鉢の鉢ではなく、兜の丸い部分の呼び名の鉢から来ているそうだ。
城の地形が、兜の鉢に似ているかららしい。
現在の町名である寄居よりも、字名の鉢形の方が古くから使われている。

初めて寄居を知ったのは、独身時代の半世紀ほど前である。
仕事で東京から群馬へ頻繁に行っていた頃で、関越自動車道が開通する前だから中山道を使っていた。
同じ道ばかりでは飽きるので、川越街道で行ったら寄居を通ったのだが、移り住むとは夢にも思わなかった。
今では県道に格下げされているが、当時は荒川に架かる正喜橋を渡って寄居の中心街へ入った。
突き当たりを右折してから、左折と右折を繰り返えし、市街地を抜けて群馬へ向かった。
因みに、左折すると秩父を経由して甲府へ続く。

突き当たった道も今は県道だが、右折すると直ぐに寄居駅入口が二ヶ所ある。
最初の入口は、同じ信号で管理されているが、一方通行の狭い道だ。
次の信号が、二ヶ所目の入口で、寄居駅入口の表示がある。
何れも、駅までは300m足らずで、寄居駅南口に着く。
北口は、南口にあった町役場が、北口の駅前へ移転したのを機に整備された。
南口にあった役場の跡は、駐車場として利用されているが、目だった開発はされず、少しずつ空き店舗が増えて現在に至っている。

元々、北口には店が無く、南口が繁華街だった。
現在、町を活性化させるために、南口駅前の再開発が進行中である。
駅を背に左側の道を直進すると、寄居駅入口の信号に出る。
以前は突き当りだったが、其処にあった大きな造り酒屋が長瀞へ移転し、直進する道が出来た。
跡地には、武蔵野銀行とフォルテ寄居(ベルク・ダイソー・マツモトキヨシ)が出来、何れも繁盛している。
個人商店は大変だろうが、町の活性化には貢献しているのだろう。

続く

   *****

写真
2022年5月11日(水)撮影:駅入口の交差点・突き当りから見た駅

御礼
「蕎麦の食べある記 No.30」に、拍手を有り難う御座います。この場を借りて御礼申し上げます。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ