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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第二部〜 (二百三十三) 

2022年05月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「それ、切れるの? ちょっとそこの木を、切ってみて。ええ、ほんとに切れるんだ。恐くなってきたわ、うち。大丈夫なのよね、死ぬことはないわよね。まだ男を知らないんだから、今夜は処女よ」 マジックの内容を説明している助手の声を掻き消さんばかりに、喋りまくっている。しかしマジックの説明は当を得ている。助手の説明よりもわかりやすく、客の間からやんやの喝采を受けた。両手を大きく広げて、マジシャンがお手上げだとばかりのポーズを見せた。
 口に指を立てるマジシャンだが、ひとみの独演は止まらない。「この箱に入って、体を横たえるのね。それじゃ皆さん、さようなら。二階のしょう坊、今夜はありがとう。もしこのまま還らぬ人になったら、お線香の一本でもお願いね」 ひとみに呼応するように、二階席の正三たちにスポットライトならぬ懐中電灯の灯りが当てられた。「よおし、分かった。俺たちも、お焼香させてもらうよ」「お経は任せとけ。偉ーいお坊さんに上げてもらえるように、頼んでやるぞ」と、あちこちから声がかかる。
「しょう坊! 好きよ、しょう坊。もしこの世に戻って来られたら、恋人にしてね」 泣きまねをしながらの仕草に、どっと歓声が上がった。「俺がなってやるよ」「いやいや、わたしに任せなさい。極楽に送ってあげるから」 あちこちから声がかかった。笑いの渦がさかまく中、マジックの箱の中に身を横たえつつ「いや! 今夜はしょう坊がいい! でも、明日は貴方かしら? とにかく、うちを指名してくれる殿御さんがいい!」と声を張り上げた。
右手に左手に中央に投げキスをしながら、2階席の正三に対しては二度三度と繰り返した。 もうマジックどころではない、ひとみ一人に掻き回されている。憮然とした表情のマジシャンも、あきらめ顔に変わっている。と、突然正三が立ち上がった。
「ひとみ! 今夜も明日も、明後日もだ。ぼくがひとみの恋人だ!」 立ち上がって正三が叫んだ。みな、思わず顔を見合わせる。口をパクパクさせるだけだ。こんな正三は、誰も知らない。当たり前だ、当の正三すら知らない。“酔いのせいだ”。誰もがそう思った、正三自身も思った。他の誰よりも、正三自身が今の己に戸惑った。

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