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「牡丹灯籠」 

2021年11月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〔1968年/日本〕旗本の三男・新三郎(本郷功次郎)は、「事故死した兄の嫁と結婚しろ」、と、両親から厳命されるも、首を縦に振らなかった。理不尽で、世間体ばかりの親を嫌い、一人暮らしをし、近所の子供たちに読み書きを教えている。或る夜、生徒たちと燈籠流しをしていた新三郎は、美しい遊女・お露(赤座美代子)と、お露の侍女・お米と知り合う。新三郎とお露は、激しく惹かれ合い、睦み合うが、その様子を覗き見た長屋の伴蔵(西村晃)は仰天する。なんとお露は化け物ではないか。伴蔵から話を聞いた易者・白翁堂(志村喬)が、新三郎に会うと、顔に、ハッキリと死相が出ていたため、「今夜、お露が訪ねてきても、決して会ってはならぬ」と注意した。しかし、お露を思う新三郎は、その後も、夜毎にお露を迎え入れ、顔にはますます死相が色濃く出、痩せ衰え・・・。「四谷怪談」 ↓https://aomikamica.blog.ss-blog.jp/2021-08-06「累が淵」 ↓https://aomikamica.blog.ss-blog.jp/2021-11-01そして、この、「牡丹燈籠」と、大映の怪談映画を3本連続して、観に行ったわけだけれど、私には、この「牡丹燈籠」が一番怖かった。「四谷怪談」と「累が淵」は、恨みの感情がテーマになっているけれど、「牡丹燈籠」は、恋がテーマだ。恋とは、病である。恋とは、熱情である。とにかく好き、会いたい、他人が何と言おうと、相手が誰であろうと、どんな状況であろうと、たとえ顔のでかい化け物であろうと、好きなものは好き。そこには、理由も、理屈もない。特に、この映画の、新三郎とお露は、共に、社会の不条理に泣かされている身、普通の恋愛以上に、惹かれ合うのは、当然といえば、当然。お露に魅入られた新三郎は、果たして不幸なのだろうか。あんな風に好きになれる相手に巡り合って、それで、死ねるなら、ある意味、本望ではないか、と思ったりもする。この映画、西村晃と、小川真由美という、業突く張りの長屋の夫婦が、めっちゃいい味出していて、怪談話に、笑いをもたらしているのもいい。評価 ★★★★☆

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