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「怪談 累が淵」 

2021年11月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〔1960年/日本〕盲目の鍼師・宗悦(中村鴈治郎)は、ある雪の夜、貸した金を返してもらうため、旗本・深見新左衛門の家に行った。しかし、はなから金を返す気などない深見は、宗悦を斬り殺し、その死体を下男に捨てにやらせた。気の弱い深見は、宗悦の影に怯え、妾を斬り殺し、結局自分も息絶える。数年後。宗悦の娘・豊志賀は、富士節の師匠として身を立てていた。ある日、豊志賀は、浪人・新五郎と知り合い激しい恋に落ちる。新五郎を愛するあまり、自分の弟子のお久と新五郎の仲を誤解した豊志賀は、激しい嫉妬心を燃やすようになり、揉めているうちに、転んで顔を打ち付け、酷い怪我をしてしまう・・・。「四谷怪談」も、「累が淵」も、メインの女性が顔に酷い傷を負う、というのは同じだけれど、「累が淵」の方は、なんか納得がいかない。「四谷怪談」の場合、お岩さんは直接の被害者で、彼女自身が幽霊となって、伊右衛門に復讐する、というお話だけど、「累が淵」の真の被害者は、宗悦で、豊志賀は、その娘。なぜ、親子二代に渡って、酷い目に遭わないといけないのか、可哀想すぎる。しかも、この物語の一番の悪人・深見は、物語の最初に死んじゃうし。いや、分かってる、この物語の本当の怖さは、人と人との「因縁」という事なのよね。なぜなら、豊志賀が、気が狂うまでに愛した男・新五郎は、深見の息子なのだもの。つまり、父を殺された娘と、その父を殺した男の息子が、ひょんなことから出会って、愛し合って、嫉妬して・・・人の縁とは怖ろしいものよのぉ、と。中村鴈治郎さんは、たまに幽霊となって出てくるのだけれど、どうせ出てくるのなら、実の娘に怪我をさせたり、悲しい目に遭わせないであげてほしいと言いたくなる。百歩譲って、新五郎を呪うなら、まだ分かるけど。幽霊にそこまでの力は無いという事か。評価 ★★★☆☆

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