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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第二部〜 (百十九) 

2021年08月10日 外部ブログ記事
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叔父夫婦には十歳と八歳になる二人の姉妹がいた。
その後は一度も懐妊できずに、来年には三十路も半ばとなる。
焦る叔父に対して「まだ若いんだ。焦らずに男子が産まれるのを待ったらどうだ」。
武蔵を養子として迎える話が持ち上がった折に、叔父の母方の親戚から挙がったことばだ。
代々金物屋を営む商家で、近隣の町にも名が通っている。
小作人の息子である武蔵では家としての格が違いすぎると、不平の言葉が飛び交った。

 叔父が武蔵に目をとめたのには二つの理由があった。
 一つは貧乏小作人の息子と言うことでしがらみがないこと。
親戚筋から跡取りを受け入れるとすると、他の親戚たちのやっかみもさることながら、当の実父からの横やりが懸念された。
 二つ目は武蔵の小狡さだった。
幼児期に生死の境を彷徨うほどの栄養失調に陥り、診療所の医師に首をふられた武蔵だった。
哀れに思った近隣の住民たちが持ち寄った食物すべてを、母親の機転で栄養価が高いとされたミルク飲料に隣町で交換してきた。
僅かな量でしかなかったが、それが武蔵の生命ちを永らえさせる一助となった。

物心のついた武蔵に対して、毎夜のように両手を合わせて「たくさんの人に助けられたんだよ」「かんしゃ、かんしゃ、かんしゃ」と、念仏のように唱えることを強要した。
何かにつけて武蔵が両手を合わせると「いいこだ、いいこだ」と頭をなでてくれる大人たちだった。
他の子ども達が叱られる場面においても、両手を合わせることが免罪符になっていた。
そんな小狡さを見抜いた叔父は(ある意味この小狡さもしたたかさに変えられる)と思い、(これから商人としての性根をたたき込めば)と考え、(万が一に横にそれれば捨てるだけだ)と、武蔵を引き取った。

 そしてもう一つ、これが実は一番の決め手となった。
偶然のことなのだが、軍人将棋から派生した大勢の子どもたちが参加する陣取り合戦に出くわした。
目端の利く子どもたち対鈍くさい子どもたちの遊びで、一方は庄屋の息子が総大将となり一方が武蔵だった。
小競り合い程度の戦いにおいては目端の利く子どもたちの勝利が続いたが、ここ大一番の戦い時には、意外にも武蔵の采配ぶりであと一歩という所まで追い込んだ。
結局は庄屋の息子のごり押し作戦によって武蔵たちは散々なことになってしまうのだが。
この時の遊びが、富士商会を起ち上げた後に活きてくることになった。

「鈍くさい奴と目端の利く奴とでは、どっちを雇う」。武蔵が五平に問いかけた言葉だ。
「無論、目端の利く奴でしょうが。言いつけられた仕事しか出来ない奴は……」。
五平の答えに対して、遮るように武蔵が言った。
「俺なら両方使うな。目端の利く奴はすぐに役立つだろうが、上滑りしやすい。すぐに楽をしようとするだろう。けど鈍くさい奴は駒としてうまく使えば……、分かるだろう」と、にんまりと笑った。
そして「上手に使えない奴が悪い、上に立つ者が悪い」と断じた。

 武蔵が叔父の元に引き取られて三年の後に男子が産まれ、跡取りとしての武蔵の役目が薄れていった。
叔父からは「男子が産まれたからといって、それで良しとするわけじゃないぞ。わたしはこの店をこの先もずっと存続させねばならない。武蔵、お前に期待しているんだ」と告げられた。
しかし太平洋戦争の開戦となり、跡取りとしての地位を失った武蔵が徴兵されることとなった。
「後を継がせてくれぬのなら、せめて暖簾分けでも」と実母からの恨み言に対して「お国のために奉公できることに感謝すべきだ」と、叔父からはにべも無い言葉が浴びせられた。

「跡取りならば免除してもらえたろうに、運のないことじゃ」と慰めの言葉をかける周囲に対して
「これでいいんです。自分のために働けるということは、ほんとにありがたいことです」と、武蔵は本音を隠し続けた。
自活の道を持てない武蔵は、あくまでも優等生を演じ続けることを選択した。
そして軍隊において、生涯の相方となる五平に出逢うという幸運を得た。
そして今、小夜子に出逢った。

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