私の一日

懐かしい母のふるさと 

2021年02月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

令和3年も何だかんだと言いながら2月に入ってしまった、今月は28日だから直ぐ3月に、その次は4月と先を急ぐのは未だ早すぎだな、、

こんなに時間間隔が短いと感じるようになったのは、いつ頃からなのかなと、昨晩のポツンと一軒家のTVを見てふと思ったのだった、

私の生家は東京近郊の田舎育ちだけど、あの場面に出るような辺鄙なとこではない、けれど、母親の実家は山岳地帯の周囲を山に囲まれ、谷底を清流が流れる自然のままのところで育ったみたいだ、
幼少の頃には何度か行ったけど、数十件あった集落も住んでいるのは今は2軒だけだそうな、

浦の山から湧き水を引き生活用水に、電気は通っていたもののガス、水道はなく、僅かな繊維関係の仕事が収入源の質素な生活だったようだ
山には柚子の木、桃ノ木、栗、茸など自然の宝庫、沢でカニを取ったりして遊んだことも、母親の兄弟姉妹は多かったが、当時の師範学校を出てこれからというときに半数以上が結核で早死に、祖父母は、山の生活にしてはお洒落なお婆さんと実直なお爺さん、お爺さんはお婿さんで美人のお婆さんを気に入ってたみたいだ、

集落に入る道路は狭く、当時は車は入れなかった、移動は徒歩と坂道を下ったところにバス停が、それも一日数本のバスだけ、医者は往診だ、お爺さんが倒れた時も往診に来てもらったのを憶えている、

冬は寒く、暖房は囲炉裏と火鉢があったかな、吊るし柿を縁側の上に干し、手で縄を綯い、草鞋を作り、今思えば信じられない生活だったんだなと、
きっと忍耐強かったと思う、この辺のDNAが引き継がれているかも、

さて、地域の統計を調べると、当時と比べ現在の最高気温は1,7℃上昇、最低気温は5度上昇、降水量は25%増加している、
地域内の学校も小学校が25校位あったのが、今は13校に減少、少子高齢化の影響は大きいな、
私の通った学校は今も存在するが、友人だった彼らの母校は今はなく、地域は閑散として廃屋の増加も著しい、都会に出て行った子供達はみんな戻らない、

私は都会の喧騒なところが良くて出てしまったのだが、
ここに住んでいたなら、全く違った人生観で伸び伸びと
それなりに幸せだったかも知れない、

こんな光景は日本の縮図なんだろうな、生まれ育った地に再び戻る気にはなれない、

昨夜のテレビを見ながら、ふるさともポツンと一軒家みたいだな、そんな思いが脳裏をよぎったのだった、
やっぱり、子供の騒ぐ声、元気に遊びまわる子供がいないのは寂しいな、

お読み頂き有難うございました。
まだまだ寒い日が続きますのでご自愛ください。
春の訪れを、人々にも街にも活気が戻ることを願って、



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