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人生いろは坂

懸念される大惨事 

2021年01月20日 外部ブログ記事
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光陰矢の如し、時は慌ただしく流れていきます。
阪神淡路大震災から26年。

あの日の朝もいつものように早く起きて居間にいた私でした。
唐突に突き上げるような激しい揺れ、目の前の壁に大きな隙間が出来
今にも崩れて来るのではないかと思うような激しい揺れでした。

時間にすれば、ほんの一瞬の揺れで、いつものような「ゆさゆさ」とした
長い振動ではありませんでした。経験したことのないような揺れでした。

冬のことでもあり多くの人は布団の中にいる時間帯でした。
テレビを点けてみると、各地の震度が表示され始めていました。
岡山県は震度4、たとえ震度4でも岡山県ではあまり経験したことのない
地震でした。

そして震源地と思われる神戸周辺の震度も表示され始めましたが、
震度表示の数字も次第に大きな数字に変化していました。
最終的に表示された震源地の震度は7でした。歴史に残るような大地震でした。
後になって知りましたが、神戸から淡路島に至る長い断層(野島断層)が
動いたことによる地震だったようです。
かねてより大地震が起きるような断層だったのでしょうか。良く分かりません。

陸上の被害は惨憺たる状況でした。
建設中の明石海峡大橋は位置が少しずれただけで転倒はしませんでした。
しかし鉄道や道路などの高架橋は、ほとんどが大きな損傷を受けていました。
被害の大きかったところでは横倒しになっていました。

通勤時間帯でなかったことが、せめてもの幸いでした。
こうして被災地の一日目の混乱は始まったのです。
この日は出勤しましたが、ことあるごとにテレビに釘付けでした。

私が当地を訪れたのはそれから一か月後のことでした。
一部の撤去や片付けなどが始まったばかりで、全てがこれからと言う状況でした。
被災状況は新聞報道や多くの写真集が出版されましたので割愛します。

そして、東日本大震災、阪神淡路大震災の記憶が薄らぎ始めた時でした。
10年前の3月11日。
この日は一日中、テレビの前に座っていました。
リアルタイムに映し出される各地の惨状をつぶさに見ていました。
手が小刻みに震えているのを感じました。
とてつもないことが起きた。ただそれだけでした。

そしてあってはならない原子炉の爆発事故が起きたのです。
関東以北の人はどうするのだろう。
東京周辺の大勢の人が被災者になることは分かっていました。
放射能を含んだほこりやガスは瞬く間に東京や関東地方を覆いました。
夥しい放射能が撒き散らかされたのです。
今もその後遺症がいろんな形で色濃く残っています。

次の天災は、あるいは人災はいつ巡ってくるのでしょうか。
幾つかのシナリオが予想されています。
そして、それらがいつ現実のものとなっても不思議ではありません。
備えるべきは備えておく必要があると思います。
コロナと天災、同時に起これば二重苦、三重苦となります。

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