メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

敏洋’s 昭和の恋物語り

敬愛する 芥川龍之介 を語る (作品) 〜鼻〜 

2020年08月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



芥川の文壇的出発の第一歩を、この作品によって踏み出した。
この作品が、明治の巨峰夏目漱石の賞賛にあったのは、余りにも有名である。
芥川は、この老大家の賞賛により自身を得たのである。
漱石のこの頼もしい言葉が、ひよこになろうとしてもがいている卵にひびを入れたも同然であった。
芥川は、水を得た魚の如くにハッスルした。

この作品も、出典は古典である。
今昔物語中にある物語の一つで、『池尾禅珍内供』のことについて書いたものである。
原典は滑稽を主として書かれてあるが、芥川はこの原典に彼一流の独創的な解釈を為し、主題を禅珍内供の心理の変化に置いたようである。
長い鼻をどうにかして治療したいと常に願っていた内供は、やっとの思いで治療に成功した。
そして、年来の願いが叶ったことに非常に満足感を感じた。
ところが周囲の者がその事に対し、いたって嗤うので内供は後悔し始める。
そして、又長い鼻になればいいと願い、元の長い鼻に戻り、内供は却って晴れ晴れとした心持ちを感じる、という話である。

この微妙な心理変化が、細部の気の利いた描写のおかげで、十二分に引き立っている。
私の特に感動 ―というより同感?―した部分は、長かった鼻が短くなったのを見た周囲の心理である。
他人が不幸を切り抜けると、今までその不幸を同情していた傍観者が今度は物足りなくなり、もう一度不幸に陥れてみたくなる。
更には、敵意さえも抱く。
そんな利己的なものだと、周囲の者の心理を説明しているところである。

私は同感だと思うと同時に、又『羅生門』と同様、空しさを感じた。
にも関わらず、筋の面白さもさることながら、芥川の軽妙な筆のタッチがおかしさを起こさせる。
確かにユーモラスな作品だが、それは暗い影を持ったユーモアだった。
そして私の知る限り、このユーモアは芥川のみの持つものだった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ