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敏洋’s 昭和の恋物語り
敬愛する 芥川龍之介 を語る (九)
2020年07月31日
テーマ:テーマ無し
芥川は、確かに当時の人たちよりは一歩抜きんでた近代人だった。
そこにも彼の悲劇が存在しているのではなかろうか。
そしてそれは、漱石にもつながるものであり、そこに芥川の、漱石よりの人格影響がうかがえる。
唯、漱石には前にも述べた核があり、芥川にはそれがなかったということである。
芥川の自殺の原因を、「人生に対する敗北」と定義する批評家はいても、「人生の計画の挫折」だとは、何人も定義し得ない。
「一行のボードレールにもしかない」
(侏儒の言葉・ボードレールより)
「彼は人生を……、命を取り換へてもつかまえたかった」
(侏儒の言葉・花火より)
『ボードレール』にせよ、『花火』にせよ、それに対立してある「人生」は、芥川の人生というより、彼の前に漠然と広がっている灰色の砂漠のようなものである。
単純に言えば、芥川には彼自身の人生はなかった。
芥川は、自分の人生を切り刻んででも「一行のボードレール」を作ろうとしたのである。劇的な人生を望んだ(?)のだろうか?
『保吉』物は、「告白を嫌った人」が書き始めた告白小説である。
それは、一作毎に新しい芸術的領土を開拓してみせようという野心が、このジャンルにおいても、独自の成功を見せることができる、ということを示す為に試みた、と解釈してもいいだろう。
そこで面白く感じるのは、比喩の大ゲサさである。例えば、『十円札』の終わりの
「保吉はかう呟いたまま、もう一度しみじみ十円札を眺めた。丁度昨日踏破したアルプスを見返へるナポレオンのように」
苦笑いを生じさせる。
では何故?
それは、読者を生の事実への接触から遠ざける為と推察した。
少なくとも、そう意識してのことだと思う。
これは、芥川の体験の直接的告白に対する羞恥故である。
前に述べた自分の大言にではなく、芥川の性格上故のことと考えたい。
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