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敏洋’s 昭和の恋物語り

せからしか! (九) 

2019年12月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 そういえば、こんなこともあった。
 どこの地でいつのことだったかは思い出せないけれども、いやそのこと自体が私の記憶にはないのだけれども。
顔の、然も目のすぐ縁にある傷跡がその事故を雄弁に語ってはいるのだが。

 その顛末はこういうことらしい。
 その場所は小部屋が並んだ長方形の古びた建物だった。
勿論のこと入り口に鍵は付いているのだが、侵入するところなどあちこちにあった。
そもそも窓自体が窓としての機能を果たしていない。
窓は割れガラス戸も破れている。

 何のための建物だったかは実際のところ判然としないけれども、子どもたちの間では結核の療養所だったという噂が流れていた。
まだ不治の病だという観念が強く、罹患すれば一生療養所生活を送り、二度と親元には帰ることができないと思っていた。
にも関わらず子どもたちはそこで遊ぶのが一番のことだった。

 建物の中央に土間の廊下があり、各小部屋への出入りは障子戸となっていた。
そこでチャンバラ遊びをするのが、常になっていた。
プラスチック製の刀を使って、障子を突いたり横子を叩き破いては悦に入っていた。

 日頃からそこでの遊びは禁じられていたが、多くの子どもたちが集まり、格好の遊び場となっていた。
しかしさほどにきつくは言われない。
なので結核療養所であるサナトリウムではなかったのだろう。
実際、特段に空気が良いとかいった高原や海岸ベリでもないのだ。

 誰が持ち出したのかは分からないけれども――子どもだけでのことで、一番の年長者は中学生だということだった――空気銃を持ち出して遊んでいた。
勿論弾丸は入っていない。
玩具の銃では、プラスチック製の弾が飛び出る本格的なものから、形だけの物もあった。
しかし本物の銃など、誰もが見てはいない。
持ちだした子どもは鼻高々で、間違いなくその日のヒーローだったはずだ。

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