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敏洋’s 昭和の恋物語り

九州旅行 〜ルーツ探しの旅〜 (二十一)四日目:学び舎への道、そして、「よっ、姉御!」] 

2019年09月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



少し陰ってきました。
時間は……、何時頃だったっけ。
なにせ、9月に入ったというのに、お正月の話をしていますので、少し記憶があやふやになってきました。

そうですよ、まずいんです。
「2日にして、仕事が休みだから」
介護の仕事をしてましてね、センター長なんですが。
自分の好きなスケジュールで組めそうなものなんですが、人手不足でしょ?
「自分が範を垂れなきゃ、誰も付いてきてくれないわよ」
というわけです。
わたしと二つ違いなんですが、いや一つだっけ?
かなりのお年なんですから「無理するなよ」と、常々言ってるんですがね。

高校時代の後輩でして、以前にお話ししたと思いますが
[あの、吉永小百合さん(キューポラのある街あてりの)に似てるんですよ。ただ、これはわたしだけが主張していることで、他の同級生たちは納得していませんがね]。

更には、「あちこち出かけるのはちょっと…」なんて言い出す始末で。
こっちは久しぶりの、ほんとにほぼ60年ぶりの九州なわけですよ。
欲張りなスケジュールを組みたくもなりますよ、わかってもらえますよね。
でね、つい「それじゃ、夕方4時か遅くとも5時に着くようにするわ」なんて言っちゃって。

ところがところが、現在時間はと、記憶をたどっていくと、4時頃になっている気がするわけでして。
九州自動車道と福岡都市高速4号粕屋線を乗り継いで行くと、地図上では52分かかるわけです。
夕方です、休日だとはいえ少しの渋滞にはなるでしょうし、5時に着くことは不可能でしょう。



とにかく、急ぐことにしました。
確か、鳥栖ICから高速に入りました。
福岡市内までは都市高速を走りました。
とにかくナビ頼みです、助かります。







大きな橋=多々良橋を渡って、名島ICから下ります。
一般道に入った頃には、もう暗くなっていました。
なにせ、1月2日のことですから。
9月の頭とはまるで違います。
先を急ぎましょう、とにかく。

ナビの指定する場所に辿り着きましたが、それらしきマンションがありません。
道路脇でウロウロしていると、老夫婦が近寄ってこられました。
斯く斯く然々(かくかくしかじか)と説明をすると、すぐそこの国道を横切った向こう側だとのこと。
またしても、ナビに裏切られました。
国道を横切らずに右折すべき所を……。
今さら悔いても詮無きことことですわ。
時間は、たしか6時を回っていたと思います。

電話です、怒った顔が目に浮かびます。
恐る恐る……案の定、お怒りです。
状況を説明しますが、すぐには理解できないようで、とにかく国道に乗れとのこと。
そしてレストランがあったら、そこを右折しろと。
そこで電話をしなさい、ということで一旦切ることに。

まあ結論から言うと、すぐ近くまで行って目印となるものを伝えたのですが、だめでした。
30分近くかかって、ようやく逢えました。
ひと言言わせてもらえれば、目印となる夜間専門の保育所は彼女のマンションの斜め前にありました。
そしてコインパークもまたすぐ近くでした。
夜間保育所なんか利用しないから分からない、というのが彼女の言い分でした。
「はいはい、さようでございます」
新年早々喧嘩するのもイヤだったので、こちらが折れました。

折れると言えば、お隣の国も強情ですねえ。
いろいろと事情があるのでしょうが、老婆心ながらあちらの若者たちにひと言言上したいものです。
「李氏朝鮮時代に戻られたいのですか? さらにお隣の国は、まさに李氏朝鮮のようなものでしょうに。両班と平民と白了(ペクチョン)の時代に戻られたいのでしょうかねえ」
こう言ってはなんですが、
1909年に日本政府によって韓国統監府が設置されると、戸籍制度を導入することで、人間とは見なされていなかった姓を待たない白丁を始めとする賤民とされていた階層にも姓を許可し、身分差別を撤廃したとされる。
また、身分解放された白丁も学校に通うことが許可された。
これに対し両班はこの施策を認めず抵抗活動を繰り広げたが、日本政府は旧両班の反対を断固として鎮圧した。
1926年の朝鮮総督府の統計調査によると、当時の朝鮮半島の「白丁」とされていた階層は8211世帯、3万6809人にのぼる。職業の内訳で最も多いのは獣肉販売業で27.8パーセント。
これに屠畜、製革、製靴など牛に関係する一連の職業をあわせると48.8パーセント。
農業が25.2パーセント。柳器製造が10.6パーセント。飲食店や低級旅館の経営が5.8パーセントであった。−−−−−Wikipediaより

韓流ドラマが好き(宮廷女官チャングムからですわ)でしてね、現在の状態が残念でならんのです。
ですので、正確な歴史を日本と共にキチンと精査してみませんか。
どちらが上だとか、偉いのだとか、そんなことはどうでも良いことにしましょうよ。

話を戻しますと、おせち料理をごちそうになりました。
ソファに二人並んで座り、テレビ鑑賞をして8時頃だったかに退出しました。
帰り際に「疲れたでしょうから、お風呂に入る?」
そう言ってくれたのですが、そのまま眠りそうだったのでやめました。
「その気持ちだけもらっとくよ」
そう言ったかどうか覚えていませんが、とにかく「ありがとさん」。

さあ、次回は、いよいよです。
[生地(聖地)伊万里に向け、GO GO GO!]

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