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パトラッシュが駆ける!
キレる
2019年05月04日
テーマ:テーマ無し
何でも、自分の思い通りには行かないよ。
時には、我慢することも必要なんだよ。
ということを、繰り返し言い聞かせるのだが、Y雄は頷かない。
「やだ」「もうやだ」を繰り返している。
私は、児童教育の難しさに直面している。
学校の先生は、日々こんなことに、向き合わねばならぬのであろう。
手を上げてはだめだ。
口で言っても、その時用いる言葉によっては、
それが威嚇になり、恫喝になったりする。
児童に納得させるには、よほどの忍耐と、
寛容が求められるであろう。
短気な私には、そもそも向いていない。
しかし、やらねばならない。
T小の囲碁将棋部において、私は、最古参のコーチであり、
時に、偉そうな訓示を垂れることもある。
こんな時に、逃げていたら、それは先生と呼ばれるに、
値しないことになる。
* * *
トラブルの伏線はあった。
「先生、裁定して下さい」
声がかかり、行ってみると、それは「待った」の問題であった。
二年生のS太が、一旦置いた駒を、思い直して、
駒台に戻したらしい。
それを対戦相手のY雄が咎めている。
「指が離れてました」と。
囲碁将棋において「待った」つまり、一旦行った着手を、
取り消すというのはルール違反とされている。
先週の活動の際にも、注意したばかりだ。
「将棋の場合は駒から、囲碁の場合は石から、指が離れたら、
それは着手が終ったということです。
もう、替えてはいけません。
いいですか皆さん、それを防ぐためには、
着手の前に、よーく考えることです。
そういうクセを付けましょう」
この訓示の中の「指が離れた」というところを、Y雄は援用し、
S太を責めている。
一方のS太は「いや、まだ離れていなかった」と言い張る。
周囲の者はその瞬間を見ていない。
水掛け論にならざるを得ない。
「S太は低学年なんだから、許してやりなよ」
年長の者に譲歩を求める。
これは兄弟喧嘩でも同じ、妥当な策と思われる。
Y雄は、この時、素直に頷いた。
どうだ、この大岡裁きは……などと威張ることではない。
コーチなら、誰でも取るであろう、一つの便法である。
しかし、ことは、これで終らなかった。
「せんせ、お願いします」
十分ほどして、またもや声がかかった。
今度は「助言」の問題であった。
脇から口を出した者が居る。
「そんなことしてたら、ここに金を打たれて、
こっちの王様が、詰んでしまうじゃないか」
軽率な手を見かね、思わず口を突いて出たのであろう。
しかし、着手が済んだ後だ。
今から指し直すことは、出来ない。
相手は、言われた通りに、金を手にし、言われた通りに置いた。
一瞬にして、勝負が決してしまった。
問題は「こっち」がY雄であったことだ。
そして、脇から口を出したのが、私の同僚コーチである、
A氏だったことだ。
Y雄にしてみれば、憤懣やるかたないであろう。
私により、一度は譲歩を強いられ、
今度はA先生により、負けへと陥れられる。
こんな不平等なことは、ないであろう。
平静で居られるわけがない。
こんな時は、怒るか泣くかだ。
Y雄は、高学年であり、さすがに泣きはしない。
その代わりに、一言叫び、教室を飛び出したというわけだ。
なるほど、廊下の先に、座り込んでいる生徒が見える。
* * *
「昔の子に比べ、今の子は切れやすい」
なんてことが言われる。
私の生きて来た、何時の時代でも、同じように言われた。
「昔の子は、すぐに切れたが、今の子は忍耐強くなった」
なんてことは、人類の歴史上、一度も、ないのではあるまいか。
「切れる」を「率直な意思表示」と言い換えてもいい。
そうするとY雄のそれを、あながち責めるわけにも行かない。
私は、Y雄と並んで廊下に座り、彼に話しかけている。
そこへ、A氏がやって来て、Y雄に謝った。
「すみません。つい言ってしまった」
大の男が、小学生に向かい、敬語を使い、頭を下げている。
それでも、Y雄の怒りは治まらない。
私はもう、ほとほと手を焼いている。
こんな時、相手が大人だったらと思う。
気の利いた格言、警句を持ち出し、からめ手から攻める。
これが案外に、奏功することがある。
相手が酒飲みなら、もっと簡単だ。
彼の言い分を、うんうんと聞きながら、時に酒を注いでやるだけでいい。
私は彼を、懐柔させずにおかないであろう。
しかし相手は子供だ。
四字熟語なんか、持ち出すのは簡単ながら、
その意味から説明しなければならない。
「隠忍自重」「臥薪嘗胆」……
何それ?ということになる。
ついでに言えば、女性もだめだ。
一旦拗ねてしまった女性を、宥め、頷かせるに至った、
実績というものが、私にはない。
私が翻意させられるのは、同じ世代の男しかない。
「待ってるからね」
私は言い残し、教室に戻った。
Y雄は依然、廊下に座り込んでいる。
残念だが、私は、匙を投げたことになる。
問題は、次の部活に、彼が現れるかとうかだ。
この間に、ゴールデンウィークがあり、長い休みに入る。
これが吉と出るか、凶と出るか……
彼の蟠りを解く時間になるか、
それとも、退部の意思を固める時間になるか……
私には、まったくもって、わからない。
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来てくれると良いのですが……
yopikoさん、
貴女も、匿名にするときは「Y子」さんになります。
私の名づけは、安直であります。(笑)
「負けず嫌い」の方が、勝負事に向いていることは、確かです。
ぽっきり折れなければ……の話ですが。
部活再開の日が待たれます。
2019/05/05 08:38:37
強くなれる
Y雄君はきっと強くなれると思います。
名前が良いですね〜
隣で一緒に廊下で座ってくれた人が居た
それだけでもう彼は前を向き始めたと思います。
彼は良い師匠を持ちましたね。
2019/05/05 07:45:39
泥沼
漫歩さん、
野球をやっておられましたか……
一芸を生かし、後進にその技を教える。
それは大変に意義のあることです。
しかし、そこには、人知れぬ苦労もあります。
やらない方が、よかったかも……と思わないでもありません。
私の場合は、既にして、どっぷりとその泥沼に嵌っておりますので、今さら逃げられなくなっております。
2019/05/04 13:16:19
追補
シシーマニアさん、
そうなのです。
作者は独裁者です。
生かすも殺すも自由なのです。
空想を広げる。
思いきり、吹聴する。
何と楽しいことでしょう、これは……
2019/05/04 13:10:39
この手法は
シシーマニアさん、
私が師と仰ぐ、山口瞳さんの物真似です。
無理に結論を出さない。
含みをもたせる。
山口さんは、何かというと「わからない」で終わっていました。
もしかすると、いや、きっと、山口さんは、わかっていたのでしょうけれどね……
私の場合は、特に今回は、まったくわかりません。
2019/05/04 13:08:06
子供の心
私は、今の子供たちの生態に興味がありましたので、リタイヤしたとき少年野球チームのお手伝いでもしようかと思いました。
それが、地域のシニアチームに誘われて自分がプレイヤーになり、子供たちとの接触は出来ませんでした。
今日拝読して、環境は大きく変わっても、子供心は昔と変わっていないことに安堵しました。
そして嬉しく思いました。
2019/05/04 11:03:14
わからない
で、終わるところが、さすがですね。
私などは、文章の最後には結末を、たとえそれが不細工であっても、何らかの結末が必須、と考えていました。
そうなのですよね。
定型なんて、必要無いのですね。
単純人間は、次回にこの結末が示されるのだろう、等と無意識に思ってしまいますが。
其処の判断こそ、書いてらっしゃる方の自由なのだ、というのも愉快です。
文章は、実話か創作か、別に公表するまでも無く、全てが筆一本に委ねられている。
なにやら、作者が独裁者の様にもみえてきました(笑い)
2019/05/04 09:40:30