トーマス18号

新紙幣騒ぎのついでに福沢諭吉の話「彼らとの約束は無効と覚悟せよ」 

2019年04月29日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

新紙幣の一万円札の肖像が渋沢栄一になるということで韓国が大騒ぎしているが現行一万円札の肖像の「福沢諭吉」の時も嫌悪感を示していた。

曰く「『脱亜論』(旧来的(封建主義的)な慣習・制度・文化にしがみついて近代化のプロセスを進むことができない『清(中国)・李氏朝鮮との連帯』から離脱して近代国家の日本を目指そうという理念)を主張した人物だから」ということらしいが、彼は最初から東アジアの国を見捨てようと提唱したわけではない。

むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ、日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。
李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。

福沢は李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。
また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのを善しとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。つまり、朝鮮の独立運動を支援していたわけである。

しかし、清仏戦争の折、開化派が企てたクーデター(甲申事件・明治十七年)が失敗に帰し、朝鮮における清国の影響力が決定的となって、この時のクーデターの首謀者 金玉均らが暗殺され、その遺体は朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されたうえで四肢を八つ裂きにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒され、果ては親族まで虐殺された。

朝鮮独立を願い戦った同胞に対し、その親族にまで残虐な仕打ちをした朝鮮(人)。そのことを知った福沢は朝鮮(人)に愛想を尽かし匙を投げてしまったのだ。

福沢諭吉に『脱亜論』や『朝鮮改造論』を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な清国従属の封建体制・事大主義によって無に帰したことによるものだ、ということをどれほどの韓国人が理解しているのだろうか。



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