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独りディナー
マダムと共に
2018年12月01日
テーマ:音楽
連弾の練習が始まった。
昨日は、ショパンのピアノ協奏曲第二番。
曲の素晴らしさに、感動しながらの練習だから、楽しさはこの上ない。
お相手のマダムは、今回で7回目かな。
最初、私の所にレッスンにいらした時は、ブルグミューラーの練習曲を弾いていたのだ。
子供のための曲だから、美しいけれど単純である。
同じ練習するなら、もっと魅力的な曲にしましょう、とまずスクリャービンの前奏曲を始めた。
大学の時に、習っていた先生が亡くなって、それ以来すっかりピアノから離れていた、という私と同年のそのマダムは、始めたら投げ出さない、という強い意志の持ち主である。
仕事の忙しいお嬢さんを助けて、小学生のお孫さんを育てて居る、多忙な毎日を送ってらしたけれど。
ある時からご縁があって、毎年四月に行われるチューリップフェアという音楽祭に、「マダム達のピアノデュオ」と名前を付けて、出演を始めた。
ときによって、メンバーが入れ替わることもあったけれど、最初からずっと続けているのが、昨日のマダムである。
最初の年は、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」だった。
二年目は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」
三年目が、フォーレの「ドリー」
四年目に、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」
五年目がサン・サーンスの「動物の謝肉祭」
六年目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の一楽章の筈だったのだが、直前に入院なさって、その年はパス。
七年目の今春、リベンジを果たした。
そして、来年がショパンである。
一年に一度の本番は、マダム達のみならず、私にとっての励みでもあるのだ。
ラフマニノフの年は、主人が亡くなる二ヶ月前であった。
ピアノ協奏曲を、あと二人のマダム達と一緒に、全三楽章を連弾用に編曲して、まず楽譜を作るのに苦労をしたけれど。
次第に体力の衰えていく主人との生活の中で、それはただ一つの光の様でもあった。
一応、指導者という役回りではあるけれど、特に昨今の私には、このマダム・デュオが、生きがいの一つとなっている。
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