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人生いろは坂

活弁口演終わる 

2011年05月31日 外部ブログ記事
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 今日からは六月、五月も慌ただしく過ぎていった。その五月は私の誕生月でもある。爽やかで新緑
が目に鮮やかな季節であるはずなのに、何故か今年の五月は違っていた。

 それは例年より早く梅雨入りしただとか、台風二号が早くも日本に襲来しただとか、そのような事
ばかりではない。あの忌まわしい地震と大津波、そして原発事故であった。次々に明らかにされて
いく原発事故報道、そうした報道はなくても、最悪の事態になっていた事は、津波に襲われた時から
明らかになっていたことである。

 今はこの最悪の事態をどのように終息すべきかに全力を傾けて欲しい。そして忌まわしい原発事故
報道はもう終わりにして欲しい。心からそう願っている。原発全てに責任を負わせることはたやすい。
しかし、賛成してきたもの、反対してきたもの、全ての人が原発の恩恵に預かってきた事は間違いない。
そして今日の繁栄を享受してきたのも事実である。

 今は静かに原発の終焉を見送りたい。「原発よ生まれてきた時代が早すぎた」。原発は時代のあだ花
のように咲いて消えていく運命にあるのではないだろうか。原発が命あるものだとしたら、人々は
どのような目で見るのであろうか。悪者として見送るにはあまりにも可愛そうだと思う。今はどうか
心安らかに眠って欲しい。

 さて今は俳句の季語で言う「風光る」季節である。緑は目に鮮やかである。日本に生まれて良かった
と思う季節である。その季節に活弁に関し特筆すべき事が四回もあった。

 一回は倉敷文化連盟の総会での記念講演であった。私のような新参者の常任幹事に講演依頼があった
と言うことは誠に名誉な事であった。話は活弁に関してと言う依頼であったので「活弁士かっちゃん
映画を語る」と言うことにして貰った。活弁との出会い、そして「夫婦活弁士むっちゃん、かっちゃん」
誕生秘話を映画の歴史とともに話した。

 継いで私の育った広島県の神辺「中条公民館」での活弁であった。これは弟の親友であるI君が
企画してくれたものである。いわば弟の縁繋がりによるものであった。中条という地は父方の祖母の
誕生地であった。

 神辺という比較的狭い地域に住んでいながら神辺在住中にはついぞ訪ねた事のない場所であった。
その地に神辺を離れて何十年か後に訪ねる機会を得たのである。祖母の引き合わせとしか思えない。
そもそも祖母という私にとっては至極近縁にあった人が生まれ育った場所するら、今日に至るまで
知らなかったのである。

 会場の中条公民館から見る景色は、狭い谷間に集落が続く典型的な田舎の風景であった。また、
祖母の実家だという家の存在もI君が調べてくれ判明した。いつか訪ねてみたいと思っている。

 引き続き翌日は、今では馴染みとなった光南台公民館での活弁であった。いわば私達夫婦の活弁の
原点のような場所である。私達が岡山のデジタルミュージアムでデビューし、活弁士として活動を
始めた最初の頃の会場であった。

 そして先の日曜日、鏡野町公民館で口演を行った。労金の小冊子「さんぽみち」が取り持つ縁で
あった。この冊子を見たYさんが私達を記念すべき鏡野町文化協会の総会に呼んで下さったのである。
こうして足かけ三週間に及ぶ全ての行事が終了した。

 私達はかねてより骨休めに旅行がしたいと思っていたので、鏡野町から少し足を伸ばして奥津温泉
を訪れた。久々の奥津温泉であった。この日はあいにく台風二号の襲来とあって朝から激しい雨で
あった。川沿いの宿「奥津荘」から見る川には濁流が渦巻いていた。近くの山も雨で煙っていた。

 この雨の中、行く当てもなく温泉三昧の時間を過ごした。昼間からの温泉はとても気持ちが良かった。
正真正銘のかけ流しの湯であった。一階の「鍵の湯」と称する浴槽の底からはぶくぶくと泡が出ていた。
湯が沸き出す場所の上に浴そうがあるわけで、なかなか珍しい温泉であった。

 また、この温泉は棟方志功ゆかりの温泉旅館でもあり、玄関ロビーには幾つもの作品が展示して
あった。窓からながめる川面には幾羽ものツバメたちが強風にも関わらず群れ飛んでいた。飽くこと
のない眺めであった。

 こうして私達の二日間の活弁の旅は終わった。この宿でも新しい出会いがあった。女将さんとの
出会いである。また、市民交流センターを通じて産直市などを計画していきたいと思っている。

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