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独りディナー
イングリッドさん
2018年08月02日
テーマ:思い出すままに
白内障の手術も、経過良く時間が進み、今朝は久々に早朝ウォーキングを再開した。
自分の中にも、コースは色々あるけれど、大分慣れてきたので今日は、「いざと言うときのバス頼り」はやめて、一万歩コースを選んだ。
近くに大きな動・植物園があって、自然の中に出来ている道である。
主人がよく、週末のジョギングで一部を通っていたコースだ。
主人が年に一度だけ参加する、マラソンコースは、ゴールの少し前に500メートルの高低があって、それが厳しいのだ、とよく言っていた。
きっと、その高低の厳しさを視野に入れて、一万歩コースの一部を走っていたのだろう。
私は主人が開腹手術をしたあと、ジョギングを再開した時、後ろから一緒に付いて行ったことがある。
久々のジョギングで、様子見だったから、それこそいざというときの用心棒、だったけれど、そのうち調子がでてきたらしく「もう、良いよ!」という声と共に、どんどん姿が遠のいていった。
当然ながら、何処を歩いても、見覚えのある場所ばかりである。
一緒に散歩した道。
転居してきた新しい土地を、週末毎に車を走らせたものだ。
子育ても終わり、新婚生活の様な毎日だった。
知人も居なくて退屈している私の、ストレス発散も考えてくれたのだろう、休みの日といえば、愛知岐阜三重のいずれかへ車を走らせた。
欧米の社会は、夫婦単位の場が多くて、アメリカに住んでいた頃はよく夫婦でパーティに招待された。
もしかしたらそれは、大学町のせまい社会だったからかもしれない。
当地での新しい主人の職場は大学だったので、在外体験の人も多いだろうし、こちらに転居する前に、又ホームパーティの生活が始まるのだろう、と淡い期待を持っていた。
長年の間に揃えた、来客用の食器やカトラリーの不足分も、丁度良い区切りだからと、買い足したりもした。
でも、当地にはどうやらホームパーティという習慣はあまり浸透していないらしかった。
あるとき購読していた新聞に、「転勤してきた記者の目」のようなコーナーがあって、喫茶店の発達している故か、余り人を招かない文化であるらしい事を、知った。
それもあって、主人の海外出張があると、せっせと同行した。
毎年会う、様々な国の人達とも、顔見知りになった。
そこでの同伴者達の関係は割に淡々としていて、会えば「あ〜ら、久しぶり、元気だった?」という感じで、さよならするときも「では又、来年!」といったつながりだった。
その中で、ドイツ代表夫人のイングリッドさんは、特に派手やかだった。
私が最初に参加した場所が、ドイツだったからもあるだろう。
会合は、開催地の会員達がホスト役を勤めるから・・。
まるで、こぼれ落ちそうなほどに大きな目。
余り多くはしゃべらないにもかかわらず、英仏が堪能な事は、客人達への対応でみてとれた。
会場として設定されたホテルは、ボーデン湖の中にある小さな島全体が敷地となっている、歴史のありそうな古城。
それはまるで、イングリッドさんの為の背景の様にも思えた。
色々と、他の夫人達に説明してくれるのを見て、私は「どうして、そんなに詳しいのですか?」と聞いてみたら、
「I was born on the lake」と、イングリッドさんは答えた。
こんなに素敵な夫人の旦那様は、さぞ優秀な人なのだろうと想像がついた。
主人に訊くと、私でも知っている有名なドイツの会社の重役らしい。
その委員会の会長をしてらしたご主人の立場もあっただろうけど、イングリッドさんは何処か皆の憧れ的存在であった。
公用語は勿論英語だったけど、最後の朝食のテーブルで、私は勇気を出して彼女にドイツ語でお礼を言ってみた。
それは、ちょっと印象的だったらしく、次に会った時は「彼女はウィーンで勉強してたのよ」と、他の人に紹介してくれたりした。
日本で大会が開催されたとき、場所が魅力的だったらしく大勢の人達がやってきた。
久々に会うイングリッドさんは、周りの日本人達にメモ用紙を見せて
「日本で、この名前の薬用水を探したいのだけれど・・」という。
其処には手書きで、ローマ字風に「OTAKA」とかかれてあった。
特に、Oのうえには横線が引いてあって、どうやらそれは「おーたか」と読める様だった。
日本大会だったから、其処には主人の大学時代の先生の奥様達も数人いらして、「調べてみましょう」と、それぞれ重々しく口にしていらした。
若輩の私には、思い当たるふしがあった。
「大高○○」という商品名で、親戚が初期の時代から関わっていた「万病に効く」というものでは無いか・・。
住所録を引っ張り出してきて、従妹に電話をした。
本社の連絡先を訊いて、宿泊中のホテルから最も近い販売場所と、もし宅配をして貰うなら何時届くか、を訊ねた。
翌日、午前中に私は横浜の薬局を訪れて、一本購入してきた。
値段も、重さも、それなりであった。
ホテルに戻って、フロントでイングリッドさんのお部屋番号を聞いて、届けて貰った。
「もしこの瓶があなたの探しているものならプレゼントします。
そして更にお入り用なら、あなたが出発するまでには、ホテルに届けてくれるそうです」と手紙を添えておいた。
主人が仕事中で、英語の添削をして貰えなかったから、さぞ粗雑な文章だったろう。
間もなくイングリッドさんから、電話がきた。
「あと、6本追加できるかしら・・」
翌年の会合は、カナダのトロントだった。
イングリッドさんは、お嬢さんの出産の時期と重なって欠席だったけれど、ご主人のヴォルフガングさんが「イングリッドに頼まれたので・・」とプレゼントを下さった。
それは、丁度パーティーが始まる前に、数人の奥様達とおしゃべりをしていた時だった。
一瞬私は、時の人となった。
その場で開いてみると、それは数枚の絵であった。
日本大会の時に、スケッチしてらしたのは私も知っている。
ヨーロッパに戻ったら、展示会をする予定だと言っていたのも・・。
でも、イングリッドさんとお会いしたのは、横浜が最後になってしまった。
ある日主人が仕事から戻ってきて、「ヴォルフガングが、亡くなったらしい・・」という。
「テニスをしていて、倒れたと、メールがきたよ」
ご主人が亡くなると、当然奥様は参加しない。
そして、私も今、追憶の中に居る。
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師匠!
コメント、ありがとうございます。
そうなのですね。
ドキュメンタリでもないのだし、すべて正直に書く必要は無いのだと、目がさめました。
私の中には、英語も大して覚束ないのに、又々中途半端なドイツ語を出してきて、といった腰の引けたところがありました。
文章の流れとしては、インパクトが必要とされる場所なのですね。
只、思い出したままに、文字にしているので・・。
2018/08/02 22:30:04
読者を惹きつける
いーい文章です。
「まるで、こぼれ落ちそうなほどに大きな目」
これがいいです。
その目はきっと、洞察力に富み、そして、受容の広さを表してもいるのでしょう。
イングリットさんの人となりが、イメージとして湧いて来ます。
但し……
「印象的だったらしく」
これでは少々弱いです。
「衝撃的であったらしく」あるいは、「衝撃を与えたようで……」くらいに、
強く言い切るところです。
文章は、ここぞというところで、踏み込んでしまう方が、良いのです。
私は今宵、晩酌を終えて、このブログを読んでおりますので、少し酔っております。
失礼の段は、平にご容赦を。
しかし、酔っている時の方が、モノの本質が、よく見えたりもします。
お書きください。
シシーマニアさんが、外国での生活で、出会われた方々のことを。
読者は、その方々を通じ、端倪すべからざる、シシーマニアさんの実像に、
僅かながらでも、近付くことが出来ます。
2018/08/02 20:21:00