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人生いろは坂

新緑の季節 

2011年05月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 朝日の中で生け垣のウバメガシの葉がキラキラと輝いている。この季節を季語の一つでは「風光る」
という。別に風が光っているわけではないのだが、季節感を表す言葉としては最適の表現のように思える。

 庭ではブルーベリーの花が最盛期を迎えようとしている。ここ数年の土壌改良の効果があってか、
ことのほか花の付き具合が多い。その他、ツツジ、オオデマリ、モッコウバラなど初夏の花が満開だ。

 全てが光り輝くように見えている。近くの山は新緑の季節。色とりどりの緑が美しい。先日、同級生
が竹の子を届けてくれた。初堀だと言っていた。今年は気温が低いのか例年より遅いようだ。さっそく
二晩、季節の料理が食卓に並んだ。竹の子の柔らかい皮の梅肉和え、竹の子の煮付け、竹の子の炊き込み
ご飯、そして竹の子の木の芽和え等である。

 ここ、二、三日黄砂がひどい。四国が霞んで見えない。何故、今の季節に。ここのところ季節を
問わず隣国中国から黄砂が飛んでくるようになった。温暖化によるものだと言われている。実は
この黄砂、とんでもないものだと言うことをご存じだろうか。中国国内の公害などによる有害物質と
カビや細菌などを大量に運んでくる。

 その上、放射性物質まで運んでくると言うから困ったものだ。お隣の韓国では今回の原発問題で
にわかに放射性物質に目が向くようになった。その中で隣国中国からの放射性物質にも目が向けられる
ようになったらしい。

 日本では比較的、以前から注目されていたようであるが、ほとんど報道されることなく、一部の
学術的な研究対象になっていただけのようである。しかし、その汚染状況はすごい。今回の原発問題
だけでなく、広く大気汚染の見地から放射能問題を議論する必要があるのではないだろうか。

 黄砂によって運ばれてくる放射能汚染は慢性的に続いている。そして、主食であるお米なども汚染
されている。これら黄砂によって運ばれてくる放射性物質であるセシウムやストロンチウム、もっとも
毒性の強いプルトニウムなどは中国内陸部で行われた核実験によるものだ。

 中国の新疆ウイグル自治区ロプノールで行われた核実験により19万人もの人が死亡したと言われて
いる。しかし、厳重な報道管制の中で事実は明らかにされていない。

 さて、原発問題を巡って小佐古さんが辞任の記者会見を行っていた。涙を流しながらの会見だった。
原子力発電所の安全神話を覆すような出来事に日本国内だけでなく世界が揺れている。過去、原発問題
に関しては大半の人が無関心か問題はあるけれど仕方がないものと考えてきたように思える。原発反対
の立場の人は少数派で異端視されてきた。

 日本は世界でただ一つの原爆による被爆国として非核三原則を堅持してきた。しかし、それは表向き
の話であってアメリカの核の傘の下に置かれて来たことに間違いはない。一方、原発は核兵器問題とは
切り離され推進されてきた。

 不幸なことに日本では核と言えば核兵器のことであり、保守と革新という政治的な対立軸の中でしか
議論された事がない。核兵器反対も革新側は総評、社会党系と共産党系と二つに分かれ、決して足並み
は揃っていなかった。

 しかし、本来、核に兵器も平和利用もない。程度の差こそあれ放射能による被害は同じである。何か
あれば放射能という目に見えないものを相手に対処しなければならないからである。

 私達は今回の原発事故を契機に真摯に原子力利用と言うものの在り方を議論してみる必要があるのでは
ないだろうか。本当に必要なのか。必要ならどのような設備にしなければならないのか。人間という
不完全なものが扱うものに完全と言う言葉は当てはまらない。

 だったら、どうするべきなのか。本当に電力は足らないのか。原子力に依存しなくても良い方法は
ないのか等、議論すべき事は山ほどある。

 自然に対し人が手を加えれば加えるほど、破壊は進み後始末は難しいものになる。それがものの通り
なのである。今回の原発事故は限りなく難しい後処理問題を私達に残してしまった。それは本来、手を
付けてはいけないものに手を付けてしまったからだ。

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