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人生いろは坂

震災復興 

2011年04月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 相次ぐ余震が続く中、震災現場において、いつまでもこのような状態ではいられないとして復興の
兆しが見え始めた。日本人の底力、東北人の粘り強さを垣間見るようだ。

 そんな状況の中、新しい復興計画案なるものも提示され始めたようだ。どんな高い強固な防波堤を
築くよりも高台に住宅地を建設する方が良い。それは前の大津波からの教訓だったようである。事実、
高台に作った住宅地では被害らしい被害はなかった。今後の復興計画の大きな柱になるのではない
だろうか。

 インドネシアのスマトラ島を襲った大津波の際の余震は五年後にあったと報じられている。未だ
余震の治まらない状況にあるが、今後、数年は大きな余震があるものとして復興計画を考えた方が
良さそうである。

 それにしても驚くのは東北新幹線である。一部、高架橋に阪神大震災の時に見られたような橋脚の
損傷はあったものの、脱線事故もなく不幸中の幸いだったと言えよう。

 どうやら地震の事前感知機能が働き、減速運転に入っていたようだ。高速運転のままだと、あるいは
脱線という事態になりかねなかった。地震対策を十分に行っていた成果であろう。技術大国日本の誇り
でもある。

 また、仙台平野をなめ尽くすように襲いかかった津波を見ていて気付いた事であるが、少なくとも
津波に飲み込まれるまでの住宅にさしたる損傷が見られなかった事である。これは耐震化に力を入れて
きた成果ではないだろうか。

 今、岡山県でも阪神大震災の教訓から公立学校の耐震化工事が次々に行われている。古い建物は耐震
強度に問題がある。従って、今後もその対策は必要であろう。

 どうやら世界から日本人は特殊な民族に見られているようだ。震災後に社会的な秩序の乱れが見られ
なかったこと。我慢強いこと。これらが奇跡的とも言われた戦後復興にダブって見えるのかも知れない。
曰く「日本人は必ず立ち直るであろう」

 確かに日本人には他国に見られないような特質があるようだ。この日本人特有の性格は何故作られて
きたのだろう。地震、火山活動、台風と、この国に課せられた試練は少なくない。建てたものが、すぐに
破壊されてきたような事も少なくない。その度に再建築されてきた。

 時の為政者に頼ってばかりいられなかった。民衆は不満を為政者に投げかける前に自らの試練として
受け止め耐えてきた。その歴史は長い。特に農業技術の確立していなかった、その昔は冷害などの被害
によって餓死者を出すようなことも少なくなかった。

 また、2.26事件の背景にあったと言われている貧しさ故の人身売買なども歴史に残されている。
こうした事の積み重ねの中に粘り強さが培われて行ったのであろうか。宮沢賢治の詠んだ詩の中にも
書かれている。「雨にも負けず、風にも負けず・・・」

 それ故に時の権力者や政権に向かうべき民衆のエネルギーが発散されることはなかったのだろうか。
つい先ほどまで自民党政権からの本格的な政権移行は行われなかった。これはある種の不幸である。
やはり向かうべきは政権の舵取りに対してである。

 今回の天災も人災という一面が見え始めている。このままの政権で良いのだろうか。菅政権に舵取り
を任せておいて良いのだろうか。復興に向けての政権のあり方を考えて見たい。強力なリーダーシップ
の執れる人が政権の座に就いて欲しい。

 相次いで市町村合併が続く中、古い地名がどんどん消えていく。実は消えていく古い地名の中に過去
の教訓が込められていることをご存じであろうか。地名には地形など今は見えなくなったものが色濃く
反映されている場合が少なくない。

 そうしたことは北海道の地名に数多く残されている。先人達が地形を見て名付けたものである。同じ
ような事例は北海道だけでなく各地に存在する。

 それらは百年に一度位の頻度で発生する大災害を避けるためのサインかも知れない。調べてみると
面白い。

 また、宅地造成によって埋め立てられ、今は見えなくなった地形や地域的な特徴がある。池を埋めた
ところは地盤が弱い。地震の際は液状化現象が見られる。地下水脈のあるところは、どんなに強固な
石垣を作っても足下からの崩壊は避けられない。そのようなところは造成すべきではない。等々である。

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