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パトラッシュが駆ける!

ラッセルの光景 

2017年04月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

中央線茅野駅から、バスで渋の湯まで行き、
そこから徒歩で、北八ヶ岳の稜線を目指した。
もう半世紀も前の、私が二十歳を過ぎた頃の話である。
私は、道楽者であり、その当時は、山登りに凝っていた。
ヒマさえあれば、いや、なくっても、ひねり出すようにして、
山に向かっていた。

雪は深いが、人の往来があると見え、踏み跡はしっかり付けられている。
中山峠に近い、黒百合平にヒュッテがあり、
旧知の米川さんが、小屋番として、冬季も詰めていた。
その夜は、コタツに足を突っ込み、ウイスキーを飲み、
二人で、遅くまで歓談した。

翌日も快晴であった。
「無理と思ったら、引き返します」
米川さんに言い残し、ヒュッテを後にした。
天狗岳への登りにかかった途端、深雪に行く手を阻まれた。

出発一時間で、すごすご引き返したら、米川さんが笑うだろう。
輪カンと呼ばれる、楕円形のカンジキを、靴に履かせ、
胸まである雪の斜面に、分け入った。
ラッセルである。
通常は、数人でパーティを組み、先頭を交代しつつ登る。
しかし、私は一人だから、何もかもを、一人で行わねばならない。
冬山の単独行の困難さは、無雪期のそれとは、比べものにならない。
普通なら、一時間ほどの、天狗岳への登りを、
三時間ほどかけたことになる。

雪をかぶった八ヶ岳連峰が、朝日に輝いている。
見はるかす遠山も平野も、真っ白であった。
「おお……」
頂上に登り詰めた時は、思わず、叫びたくなった。

「何がよくて、冬に山なんて登るの?」
周囲の人々から言われた。
母からも、呆れられた。
「このくそ寒いのに」と付くのが、通例であった。

「登った者にしか、わからないさ」
困難があればあるほど、登りつめた時の、感激が大きい。
しかし、それを言ったって、わからない者には、わからない。
道楽なんて、大方、そんなものだ。
多くの無理解者、批判者の白眼視に耐えつつ、それでも尚且つ行う。
それが道楽、それでこそ道楽……ではないかと、私は思っている。

僅かだが、世間には、理解者も居た。
「暖房の効いた部屋で、遊蕩に耽る若者より、寒風を突いて、
困難へ向かって行く、そういう若者の方が、私は好きだ」
と仰って下さったのは、深田久弥さんであったか、
串田孫一さんだったか……今はもう思い出せない。

これを言うと、反発が来るのは必定ながら、私達登山者は、
多かれ少なかれ「栄華の巷を低く見て」いたのでは、あるまいか。
ダークダックスが唄う「雪山賛歌」の中にも、同じような一節があった。
「俺たちゃ町には住めないからに」
と言いつつも、実際は住んでいる。
住まざるを得なかった。
その不本意が、私達をより清らかな地に、誘(いざな)わしめたと言えなくもない。

天狗岳を南に下り、夏沢峠に至った。
引き返すなら、この辺が汐であった。
しかし、私には自信があった。
既にして、天狗岳を踏み越えている。
次の硫黄岳を越えれば、後は下りだ。
今夜の宿、赤岳鉱泉の小屋に辿り着くのは、難しくないと思われた。

午後の陽が、傾き始めていた。
硫黄岳からの下りで、道を間違えたようだ。
いや、そもそも、道は雪に埋もれている。
雪の上の足跡も、定かではない。
樹林帯に入ったが、木々の枝に結び付けられた、
赤い布の目印も、見失ってしまった。
一旦稜線まで戻るか……
それには、下りの時の、何倍ものエネルギーを費やさねばならない。

えーい、ままよ……
私は、道らしきを選び、樹林の中を下って行った。
雪の上に見えるのは、兎の足跡ばかりだ。
彼らには、道など要らない。
その自在さが、この際は羨ましい。

急な下り勾配に、行く手を阻まれた。
既にして、日が暮れかけている。
崖の下には、雪がたっぷり積もっている。
何とかなるだろう……
私は、その数メートルの落差を、雪をクッションにして、
尻から滑り降りて行った。

沢に出た。
傾斜が緩くなり、辺りは開けている。
さし当りの危機は、脱したようだ。
しかし、暗くなりかけている。
私はビバーク(不時露営)を決意し、雪を踏み固め、
ツエルト(簡易テント)を張り、寝袋を取りだした。
コッフェル(簡易コンロ)で湯を沸かし、
アルファー米をおかゆ状にして食べた。

まんじりともしない、一夜を過ごしたのは、言うまでもない。
ここで雪崩に襲われたら、ひとたまりもないであろう。
そして、雪が溶けるまで、私は発見されないであろう。
おふくろが、何と嘆き、悲しむであろうか。
そんなことを考えたら、眠れるわけがない。

夜の白むのを待ち、テントを撤収し、下山にかかった。
積雪は次第に浅くなり、やがて登山道に出た。
山麓から、赤岳へと続く道であり、多くの足跡が見える。
やれやれ、助かった。
やがて見えて来た小屋で、熱い茶をもらった。
小屋番のおじさんが、茶うけに、野沢菜を出してくれた。
それは、自家製であろう、そして、古漬けであろう、暗黄色にくすんでいた。
しかしながら、その味だ。
私はその後、あれより美味い野沢菜に、出会ったことがない。

 * * *

テレビのニュースが、雪崩による、高校生の大量遭難を伝えている。
那須温泉のスキー場である。
亡くなった若者の顔が、名が、次々に画面に出る。
これから人生が、始まるところであったのに……
親の苦衷は、いかばかりであろうか……
私は、このニュースを、正視出来ないでいる。

一方で、雪山を懐かしく思い出してもいる。
ラッセルを、やったなあ……
雪との格闘を、久しぶりに、思い出している。

高校生達が、隊列を組み、勇んで雪をかき分けて行く。
その様子が、目に浮かぶようだ。
しかし、直後に、その光景が暗転してしまう。
私は、雪に埋もれた、高校生達を思いつつ、
目に涙がにじむのを、止められないでいる。

 * * *

「不思議に命 長らえて」という歌がある。
私の気持が、まさにこれだ。

冬山ばかりでない。
私は岩登りもやっていた。
谷川岳のマチガ沢を、単独行で登りつめたりしていた。
ここから墜ちたら、死ぬな……確実に死ぬな……というところを、
不思議に無事に、通り抜けて来た。

まかり間違えば、私は死んでいた。
雪崩により、滑落により、墜落により……
死因は幾つも想定される。
まったくもって、私の場合、命が幾つあっても、足りはしなかった。

運がよかった。
としか、言いようがない。
ただひたすらに、運がよかった。

そこから、考えられることがある。
運なんて、そうそう、長続きするものではない。
人生の序盤において、私は、その運を使ってしまった。
使い果たしてしまった。
「おまえ、もういいだろう」
神様が、何時言い出さないとも限らない。

人生の晩年に至り、私はことさらに、用心深くなっている。
若い頃「私だけは死なない」と思っていた。
今は違う。
「人は死ぬ。誰でも簡単に死ぬ。それは明日かもしれない」
ということを、今の私は、自信を持って、言い切ることが出来る。



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冬や山登山

みのりさん

パトラッシュさん

 冬山登山は怖いですね
やはは安全のため時間もかかり
そうですね
 先日の高校生の雪崩事故も
ありましたからね

2017/04/02 09:24:24

悲しいです

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
その通りです。
新聞もテレビも、よく見られないのです。
遭難者が、五十代六十代だと、こんなにも、悲しまないのですがね……
代わってやりたいけれど、そうも行きませんしね……

2017/04/01 13:27:03

敬服

パトラッシュさん

素浪人kenさん、
何時も、山の写真を、楽しませて頂いております。
あなたの登山歴に比べたら、私のそれなんぞ、無いに等しいです。

お金と時間がないので、近場が専門でした。
八ヶ岳には、よく行きました。
北アルプスは、槍と穂高くらいです。
谷川は、マチガ沢単独登攀くらいです。
残雪期に、雪渓訓練で、一ノ倉の、二ノ沢出合まで、入ったことがあります。
結婚を機に、山から足を洗ってしまいました。
(生活のため、洗わざるを得なかった)

ザイル、ピッケル、輪かん等、一通り持っていましたが、今はほとんど、散逸してしまっています。

kenさんは、大したものです。
ご自分の希望した生き方を、見事に実践しておられる。
ただ、敬服の一語です。

2017/04/01 13:22:42

ラッセル

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
自然の力に、人間は敵いません。
侮ったかもしれません。
彼ら、そして、私もです。

たまたま運のよかった私は助かり、不運の彼らが、亡くなってしまいました。
残念な事態です。

プチでもなんでも、やってみるとわかりますでしょ。
ラッセルの大変さが。

2017/04/01 13:11:31

拙歌です

パトラッシュさん

みさきさん、

この時に、作った歌があります。

命ありて 雪の信濃の 山小屋に 熱き茶を飲む 野沢菜食みつつ

文字通りの拙歌です。

2017/04/01 13:07:36

今日の師匠からは

シシーマニアさん

悲しみが伝わって来ました。

2017/04/01 12:55:13

そうでしたか…

素浪人kenさん

登山をされていたのを初めて知りました、心深く拝読しました。
あの時代のレジャーの多くはキャンプや登山が多かったので、シニアの皆さんも登山経験者が多いですネ。
kenも若い頃は馬鹿が付くほど登山をしていたので親不孝者でした。
仲間を失い多くの事故を経験してきましたが、運がよかったのでしょうか今があります。

谷川岳と八ヶ岳は近距離で入り易い山でしたので一番多く行っていましたので、同じ上越線・中央線の夜行列車の客のときもあったでしょう。

那須スキー場での雪崩事故は残念です、自然の驚異は計り知れないところがありますが、高校生の登山訓練として考えると表層雪崩の危険性をもっと慎重に判断すべきところを問われるでしょう。

那須にもよく行きます、那須岳へのロープウェイ駅の手前でツツジの咲く頃になると観光バスがスキー場の下を通るような場所でした。

登山をする者として辛い出来事でした、ご冥福を祈るばかりです。

2017/04/01 11:27:25

プチラッセル

吾喰楽さん

おはようございます。

本当に悲惨な事故ですね。
私も、目頭が熱くなりました。
スキー場の近くなので、関係者に油断があったのでしょうか?

松之山の美人林へ、頻繁に通った時期があります。
四季折々の姿を見せてくれる、絶好の撮影スポットです。
途中で車を置き、膝上まである新雪を歩いた経験があります。
短い距離でしたが、思うように歩けず、疲れました。
私のラッセルの、最初で最後の経験です。

今更ながら、自然の驚異を感じました。

2017/04/01 09:46:10

ほろり…

みさきさん

山々を思い、
遭難を思い、
尾崎喜八を思い、
野沢菜を思い、
命を思い、
泣けました。

2017/04/01 09:24:22

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