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人生いろは坂

ぼくらはみんな生きている 

2016年12月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 気持ちが良い、気持ちが悪い、うれしい、悲しい、つらい、痛い、かゆい
つらい、、楽しい、面白い、数え上げれば幾つもあるこうした事柄の全ては、
人間がと言うか自分自身が生きているから感じること。いわば生きている証拠。

 生きているからこそ喜びも悲しみもあるのです。こうした事柄は、人間が
この世にいる限り、ずっと感じ続ける事なのです。

 従って、一喜一憂せずに自分の周辺に生じたこと全てに身を任せる。そんな
風に生きることが出来るようになったら人生の達人と言えるのではないでしょうか。

 人には人それぞれに持って生まれた人生というものがあります。私達は決して
他人の人生を生きることは出来ないし、ましてや同時に二つの人生を生きる
ことも出来ません。言うまでもなく自分の人生は自分だけのものなのです。

 良く他人を見て羨ましくなって、我が人生を嘆いたり悲しんだり、時には
嫉妬のあまり、相手を傷つけたり、理由もなく殺したりもします。とんでも
ないことです。他人(ひと)には他人(ひと)の人生があり、その人が
何を考え、何に喜び、何に悩んでいるかなど分からないのです。例え家族で
あっても自分以外の他人の心の内まで覗くことは出来ないのです。

 表面上は明るくしていても、心の中にどんな悩みや悲しみがあるか、伺い
知ることは出来ません。相手が喜んでいるように見えていても、そのように
見えるのは自分自身が作り出した幻想でしかないのです。

 自分勝手に想像を膨らませて相手の人の心の内や現実の生活を想像し幻想を
作り出している場合が少なくありません。

 どんな有名人であっても、あるいはお金持ちであっても、悩みや苦しみが
ないという人はありません。また、仮にその時は一瞬幸せの絶頂にあっても
「禍福はあざなえる縄の如し」と言われているように、次の瞬間には手の平を
返したように不幸に襲われることだって数知れずあるのです。

 私達は、一喜一憂することなく坦々と我が人生を生きるだけなのです。人生は
繰り返し押し寄せては、また引いていくような波のようなものです。波のように
山もあれば谷もあります。この山や谷があるからこそ楽しいのだと言うことも
出来るのではないでしょうか。

 谷底で味わった苦労があればこそ、山頂を極めた時のようなうな絶頂の喜びも
あるのです。まるで繰り返し浜に押し寄せて来る波のようではありませんか。

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