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名誉白人 

2016年12月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

数年前、主人のお供で南アフリカへ行った。

目的地のケープタウンは、治安の悪さ世界第三位。

後半に訪れたヨハネスバーグは、世界第一位だという。


私達が泊まったケープタウンのホテルは、市街地から離れてぽつんと建てられた、国際ホテルといった様相だった。


空港から、ホテルへ向かうタクシーの窓からは、言われなくても解る黒人街が、道沿いにいくつも見えていた。

それらは、トタン塀で囲った、集落と言った印象だった。


宿泊したホテルは、広大な庭付きだったから、私の様な暇人が散歩でもしない限り、気づかなかったかも知れないけれど、高い塀で囲まれたその上には、更に高圧の電線が張り巡らせてあった。

これは、聞くまでもなく動物と共存している、アフリカならでこそ、だろう。


私は通常、旅先では一人で目的も無く歩き回るのが好みである。

しかし、「単独行動はしないように」と「公共の乗り物には乗らないように」とまず言われた、その理由は、勿論動物では無い。


広い道を横切った向こう側には、建設途中、とい言った風情の大きなショッピングセンターがあった。

「ケンタッキー・フライドチキン」や「ピザハット」などがあったと思う。

大きなスーパーマーケットに、酒類の専門店もあった。


最初の日、主人とそこで食事をしようとレストランへ入ると、出てきた従業員に「此処は、貸し切りなので・・」と断られた。

すると、奥から出てきた支配人風の人が、


「特別に席を用意しましょう」と、招き入れてくれたのだ。

其処で、美味しいイタリアンの食事をして、たっぷりワインを飲んで満足した私は、気づかなかったけれど・・。


主人は、どうやら国際化に不慣れな従業員が、白人でもない私達を、やんわり断ったのだろう、と言う。


そこで、慌てて出てきたのが、支配人だったのじゃ無いかな。


次々と入ってきた客達を見たら、とても貸し切りとは思えなかったよ。


確かに、家族連れや、数人の夫婦連れなど、ごく当たり前のレストランの風景だったのに気づいた私は、


そういえばテーブルに座っていたのは、全て白人達だったことにも、改めて気づいたのだった。

忙しげに働いている人達は、黒人である。



翌日、同伴者である夫人達が募って、タクシーをチャーターして観光に出かけた。


運転手は黒人で、ガイドは白人である。


デンマークから10年くらい前に転居してきたという、彼女はまあいわば、南アフリカの歴史とは無関係の、第三者である。


その彼女の説明の中で、私は最初で最後の「カラード」という言葉を聞いたのだ。

「南アフリカの人口は、80パーセントがブラックで、9パーセントがホワイト、残りの11パーセントが、カラードです」


翌日から契約していた専属のガイドは、南アフリカで生まれ育った白人で、人種間のことにはことさら神経を使っている印象だった。


日本人の私の前で、カラードという言葉は使わなかったけれど、私達の名前と故郷を憶えて、逆に質問して来るような彼女は、もし参加者が全員ヨーロッパの人達だったら、更にざっくばらんな雰囲気を作って居たかも知れない。


私はアフリカ滞在中、「名誉白人」という言葉が頭から離れなかった。

ケープタウンでは国際会議が開催されていたので、出席者に黒人がいなくても、まあ頷ける。



後半、ヨハネスバーグで、主人とポーランドから来た友人のゴラーユ先生が、セミナーを開いた時にも、出席者は全員白人であった。


名誉白人だった、私達以外は・・。


ホテルの居室に一人で居るのも危ない、と聞いていたので
セミナーに付いていった私は、周りに居る中年の研究者達を見ながら、心中では複雑であった。

アパルトヘイトの時代、この人達はどんな気持ちで生活していたのだろう・・。


ヨハネスバーグでは、殆どの車はエアコンを設置しているそうだ。窓を開けると、危ないから。


事前に当地の人に予約しておいて貰った、タクシーの運転手が教えてくれた。


私達が宿泊したホテルから、すぐ近くに「マンデラ・センター」という名だっただろうか、巨大な商業施設があった。



私達、ポーランドから来た主人の友人夫妻二組と私達は、毎日夕食に出かけたけれど、主人と二人だけなら恐怖があったかも知れない。

その時は屈強な男性が三人一緒だったので、安心して歩けたけれど、一度違う道を行って見ようかと、いつもと違う方向に歩き始めた時は、私と夫人連は、すぐさま引き返してしまった。


其処は広い駐車場だったらしいのだが、不規則に止まった沢山の車の横に居た現地の人達が、ほぼ一斉に私達を眺めた空気に、私達は理屈抜きに恐怖を感じたのだった。


南アフリカには、素晴らしい自然が沢山あった。


数日間車をチャーターして、クルーガー国立公園を周遊したのは、楽しい経験であった。


キリン達や、シマウマ達は、いつでもそこらに群がっていたし、ライオンの家族やワニの家族、車が渋滞していると思ったら、サイの群れが道を横切っていたり、動物好きには堪えられないだろう。



運転とガイドを一人でこなしたおじさんは、キャンプに着くと、私達が一寝入りしている間に、バーベキュー・スタイルの夕飯の用意をしてくれる。

毎晩、南十字星の下で、ワインを飲みながら味わうお肉は、戸外で食べるとどうして、と我ながら驚くほど際限なく食べられるのだった。

私には、その時間が一番楽しかったかも知れない。



でも、沢山ロッジが並んでいる広大なキャンプ場も、周りはやはり塀で囲まれていて、その上には高圧の電線があった。


かつて、此処を飛び越えて入り込んできた、クロヒョウに襲われた青年の、石碑があって、しばし現実に引き戻される。

数年後、家族が追悼に来て、建てたらしい。


ヨハネスバーグからの途中、立ち寄って見せてくれた、丁度アメリカのグランドキャニヨンを思わせる大渓谷や、青とも緑ともつかない神秘的な色の湖などの光景も、忘れられない。


しかし、何処に行っても、働いているのは黒人で、テーブルに付いているのは、白人と我々名誉白人・・。


確かに白人に生まれついて、アパルトヘイトで育てば、その思想を疑いも無く受け入れるのかなあ、と天使のように可愛い白人の子供達を見ながら、思ったりもする。



この旅行は、私に山ほどの宿題を与えてくれた。


でもだからといって、時たま思い出すだけで、解決への糸口なんて見いだせるわけはない。


先日、村雨さんのブログを読んで、久々に思い出した、脳天気な「名誉白人」である。



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村雨さん

シシーマニアさん

これは、私の考えですが、とお断りしておきますけれど・・。

J・M・クッツェーの例を挙げるまでも無く、南アフリカの人達には、移住希望の人が多いのかな、と思ってしまいます。

逆に、出生地で恵まれない要素を背負った人が、白人という看板を掲げて南アフリカに移り住むのか、とか。

出会った数人で、結論づけるのは乱暴なのですけれど
・・。

2016/12/14 20:40:57

師匠

シシーマニアさん

人種的な差別、というのは理屈では無いのですね。

私は若いとき、白人に対してもちょっと、違和感がありました。

やはり、国籍は違っても東洋人に親近感を感じたのは、西洋志向とは別の括りだった気もします。

生まれ育ちというのは、根強いでしょうから、アパルトヘイトという政策下で、白人が統括する社会を作った人達の秀逸さ(狡猾さ?)

現在、南アフリカの経済は落ち目だという話も聞きました。
平等化された社会での、黒人達の労働力の変化なのでしょう。

2016/12/14 20:33:22

バリヤ

シシーマニアさん

西洋志向の強い私も、南アフリカでは、それまでに無い経験をしました。

つまり、自分がカラードである、と言う認識です。

ヨーロッパでは、自分が異邦人であるとは思っていましたが、人種的な事は余り感じませんでした。

勿論、レストランやお店で、失礼な対応に会ったりもしましたが、それは向こうの問題だ、位にして切り捨てていました。


でも、南アフリカでは。

いつものお仲間達が、今までどれだけ私を「名誉白人」として気遣ってくれていたのか。
改めて気づかされた、という思いもありました。


私がそれまで、バリヤだと思い込んでいたのは、語学力、でした。

でもそんな単純なことでは、無かったのかも知れないし、それだけだったのかも知れない。

ひがみ始めたら、これもキリはありませんね。

2016/12/14 20:19:10

南ア連邦の現実

さん

チェーンブログ、ありがとうございます。
本を読んで嫌悪感を募らせるだけでしたのに、リアルな経験を語ってくださったおかげで、悲劇的な国の現実を知ることができました。
重いですね。

ロサンゼルスでも「一人で歩くな、グループで歩け」と、さんざん言われました。グループで歩いていても、変な男が寄って来て、落ち着きませんでした
サンフランシスコやカーメルなどでは、そんな注意はなく、のんびりできたので、アメリカでは、土地柄にも寄るのでしょう。

2016/12/14 09:59:04

事実の重み

パトラッシュさん

新聞やテレビの伝えるところにより、
現地の情況を、多少なりとも、知っているつもりでした。
しかし、実際に現地を踏まれた方の、語るところには、重みがあります。
それが、面識のある友人(貴女のこと)であれば、なおさらにです。
人間の持つ、矛盾ということを、考えさせられます。
差別の上に成り立つ社会、この不条理に、胸が痛みます。

2016/12/14 07:43:07

世界を見る目

彩々さん

お早うございます。

>この旅行は、私に山ほどの宿題を与えてくれた。

シシーさんのこの思いがあるからこそ、
シシーさんBlogでは、私が触れることが
ない、遠く離れた国の事まで、実際に触れた
気分にさせてくださるものがあるのです。

探求心まで刺激してくれるものがあり、
今回はアフリカの地に立ったかのような
想いになりました。

これからもシシーさんの世界を見る目に
注目しています。

2016/12/14 04:35:19

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