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人生いろは坂

パソコンと生きる 

2016年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 私は自分のパソコンを3台持っている。一台はデスクトップとして私の書斎代わりの二階の部屋に。
一台は仕事用として回船問屋の事務所にノートパソコン。更に一台は携帯用にと小型のノートパソコン。
この小さなパソコンは私のライフワークでもある環境問題等の講演や活弁の際の講演などで使っている。

 先日、実は困ったことが生じた。回船問屋で使っていたノートパソコンに不具合が生じたのだ。
日々、業務に使用している大切なパソコンである。このパソコンが使えなければ仕事が進まない。
このパソコンは児島市民交流センターで使っていたものを辞めるときに買い取ったものだ。

 公的な業務に私用のものを使うのもおかしなものだが、使い慣れたパソコンの方が便利が良いと
言うことと、センターに勤務し始めた頃には、何らそのようなものを準備して貰えず家にあったものを
持ち込んだという経緯もある。

 皆さんもいつの頃からかパソコンを立ち上げると間もなくウインドーズ10にアップデートの小さな
画面が立ち上がり、消しても消しても、しつこく立ち上がることを経験をされたことはないだろうか。

 この画面、実は無償でアップデートしてくれると言うのだが、ウインドーズ7に使い慣れたものと
してはいきなりウインドーズ10になって、インストールしている他のソフトが機能するのだろうかとか
使い勝手が悪くなるのではないかなど不安は尽きない。出来ることなら今のまま使いたい。そう思うのは
当たり前の事だろう。

 ウインドーズ側としては保証期間の問題やセキュリティをより強化したものをユーザーに提供したいと言う
親心からでもあるのだろうが、パソコンさえ十分使いこなせないようなユーザーにとっては寝耳に水、実に
迷惑な話なのだ。

 私のパソコンに異変が生ずる数日前、回船問屋へ備え付けのパソコンでウインドーズからの知らせが
入り、慌てて知り合いに対処方法を聞いて事なきを得たという話を聞いていた。その時点では、私の
パソコンにそのような画面が立ち上がったことはなかった。

 そして、数日後、私のパソコンにも同じような画面が立ち上がった。こんなものがと心の中で思いながら
画面を送り最終画面で?印を押して画面を消すことを繰り返していた。何度となく同じようなことがあった
ある日、今までの操作と変わらないことをしたはずなのに、インストールを開始しましたという表示に
変わってしまった。

 さすがの私も慌てて何とかしたいと焦るのだが、こういうときに限って良い解決策は思い浮かばない。
「ええい」と、実はしてはならない行為をしてしまった。インストールを止めるべくパソコンの電源を
強制的に切ってしまったのだ。

 恐る恐る再度電源を入れてみると、今まで目にしたこともない警告画面が出ていた。英語で書かれた
無味乾燥な画面である。咄嗟にパソコンに重大な支障が発生していることが判明した。

 いつもパソコントラブルなどの時に頼みの綱としている人に電話しようと思うのだが、そうしたときに
限って相手先が思い出せない。古いつきあいのところに電話してみたが、どうしようもないという
冷たい返事。あちらこちらに電話しているときにふと思い出したのが、いつもお世話になっているところ。

 担当窓口に聞くと、いつもの担当者は午後から出勤とのこと。仕方なくトラブルの様子を説明すると
致命的な操作をしてしまったとのこと。つまりインスト−ルが進行中に電源を切ると、ハードディスクに
ダメージを与えてしまい、メーカーに出して修理を依頼するしか対処法はないとのことが判明した。

 その日に限ってパソコンがなければ出来ない仕事が山ほど待っていた。気持ちは焦るばかりであった。
それこそ電源を入れたり切ったりを繰り返す内に、奇跡的に元のウインドーズ7の画面が立ち上がった。
早速、パソコンを修理に出すことを考えて、パソコン内のデータを全て取り出す作業にかかった。

 データ量の多い写真類は外付けのハードディスクに。当面、使用しているデータや作りかけの資料は
メモリースティックに移し終え、やっと一息ついた。

 これで壊れてしまえば、その時はその時と腹を決め、その日の作業を何とか終了した。書類の多いときや
急ぐ時に限って、このような事は起きるものだ。

 こうして、この状態を保つべく電源を切らずに幾日かを過ごした。それはそれで支障はなく一、二週間は
過ぎただろうか。あるとき何気なく電電を切ってしまった。やばいと思いながら、また、同じようになる
ことを覚悟の上で電源を入れてみた。やはり横文字の画面が出てきた。電源を切って再起動してみた。

 すると、私の思いが通じたかのように自己診断と自己修復の画面に変わった。しばらく時間がかかります。
待ちますよ。しばらくだろうと何時間だろうと。そんな気持ちで待つこと5分くらいだったろうか、それとも
10分くらいだったろうか。何とパソコンは自己修復して立ち上がったのだ。

 元のウインドース7に戻ったのである。以来、今も何のトラブルもなく使い続けている。まるで私の
必死の思いが通じたかのような復元であった。何かしらパソコンと私の頭脳がシンクロ(意思疎通)して
いるかのような出来事であり、一瞬であった。

 振り返って見ればパソコンと私のつきあいは古い。ウインドーズ95なるものが、登場したときに
始まった。かれこれ21年になる。このとき積極的にパソコンなるものに接した者と、そうでない者
との間に決定的な何かが生じた。

 私はパソコンなるものに興味を抱き、のめり込むように取り組んで行った。その結果、在職中も
そして定年後も大いに助けられた。パソコンが使いこなせなかったらセンター勤務も今の回船問屋
勤務もなかったであろう。パソコンが使いこなせなければ出来ない仕事だからだ。

 思いがあっても伝える手段がない。通信手段が限られる。そもそも紙の代わりにパソコンが
膨大な資料をストックし、必要に応じて印刷し、他に広く伝える。手書きなどでは到底不可能な
事ばかりである。

 そして今やSNSなる通信手段が格段に進歩する中で、人と人のコミュニケーションも大きく
変化している。これらもパソコンが進化した先にあったものだ。人間の頭脳とそれを繋ぐ形の
パソコンなどの進歩、これらは人間世界を大きく変化させてきた。そして今も変化し続けている。

 何かしらパソコンと人間は連動している。そんな気がしている。

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