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2月18日 自然愛好友の会オフ 鳶尾山・八菅山(5/5)  

2016年03月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

[愛川町、海底地区から平山地区の勝楽寺へ]

2時37分、海底地区の集落に出た。峠道は5分ほどの下りだった。集落の中には銀杏の大木がある日月神社というやや大きい神社もあった。この集落は、名の知られた和紙の産地だったそうだ。その名残なのか民家の庭先にミツマタの木があって開花し始めていた。空き地にヤノウエノアカゴケという苔が広がっていて、赤味のある胞子を付ける茎が伸びてきていて綺麗だった。海底地区からは、最終目的地の平山地区にある勝楽寺に向かって舗装された里道を歩いた。2つの地区の間は尾根が中津川に迫った森になるが僅かでまた視界が開ける。

2時52分、勝楽寺の正面の十字路に到着した。門の右には朱を入れた文字で「曹洞宗 勝楽寺」左には「田代半僧坊」と彫られた門柱が立っている。その門と奥にある立派な山門の間を、国道412号線が高架橋で横切っている。その国道の高架下まで来ると、堂々とした2階建ての山門が正面に現れる。高さは16mもあり、扁額には「満珠山」と書かれている。嘉永4年(1851年)に建立されたものだそうだ。寺自体の開山は、天文13年(1544年)だそうで、文字通り古刹だ。山門に続く階段の脇には杉の古木もあり、尊厳さを醸し出している。またこの山門は仁王門であり、2階には釈迦三尊と十六羅漢が安置されているそうだ。山門の先には、中門があるがこじんまりした感じになっている。山門と中門の間には銀杏の大木が3本あるが、傷んだのか10m程の高さで切り落とされていた。閉ざされている中門の脇を通り過ぎると本堂の前に出る。これも堂々とした建物だ。この本堂の左に並んで半僧坊の建物があり、渡り廊下で本堂とつながっている。遠州奥山方広寺から勧請したものだそうだ。毎年4月17日の春まつりには、近郷近在の新花嫁さんが挙式の当日の晴れ姿でお参りする習わしがあり「美女祭り・花嫁祭り」として賑わうとのことだ。これもあってか、地元では勝楽寺というより、田代の半僧坊と呼ぶのが普通とのことだ。国道のバス停の名前も、「半僧坊前」になっている。境内には、他に鐘楼や十六羅漢堂の建物もある。半僧坊の前では、ピンクの花を咲かせた枝垂れ梅が綺麗だった。

3時17分、勝楽寺を後に国道に出て半僧坊前バス停に向かって歩き始めたが、ヒロピイさんが帰宅の電車は小田急線本厚木駅より京王線の橋本駅の方が都合が良いとのことだったので、そこで解散にすることにした。ヨゴサンときみさんは見えていた厚木へのバス停に向かったが、ヒロピイさんには相模原市の田名バスターミナルに行くバス停の場所が分からないだろうと、自分と相模原市在住のれんげしょうまさんも加わった3人は田代のバス停に向かった。途中、中津川に架かる平山橋を渡る。大正15年(1913年)に架橋された鉄骨トラス橋で幅員が4.5mしかないため、少し下流に2車線の平山大橋が作られ、現在は歩道橋になっている。この橋には、国指定の登録有形文化財のプレートがある。田代のバス停で、40分程待ったが、先に本厚木駅行のバスが平山大橋に向かって行った。

静かな低山歩きとローカルなものではあるが歴史名所巡りを組み合わせたオフ会だったが、穏やかな晴天に恵まれ、参加された皆さんも楽しめた様子だった。
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写真は、「愛川町海底地区の春」と「勝楽寺(田代半僧坊)」



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