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音楽HP作りと自然探訪と…
2月18日 自然愛好友の会オフ 鳶尾山・八菅山(3/5)
2016年03月19日
テーマ:自然探訪
[八菅山いこいの森]
青空博物館の名だが、あるのは駐車場と広場、そして「あおぞら館と」小さい建物だけだ。周りの景色そのものが博物館という意味なのだろう。なお「あおぞら館」の中にはこの地で見られる動植物の写真などが展示されているが、管理人は駐在していないようだ。一昨年の3月半ば、一人で歩いた時にはここで野猿の群れに出会ったが、その再現は無かった。広場には、プラスチック製のテーブルとベンチが6,7組設置されている。子供が対象のようで、椅子もテーブルも低い。地面よりは座り易いので、昼食を摂るのに使った。一昨年は、猿の群れが広場に居たため、写真を撮りに近寄っただけで、食事はあおぞら館入り口の屋根付きベンチでだった。あおぞら館にはトイレもある。ここから、上流に少し歩くとトンボの池と東屋があり、さらに八菅山へ通じるカエデの小径がある。一昨年はそれを通って八菅山展望台に向かったため、八菅神社に寄らずじまいだった。今回は、八菅山の象徴でもある八菅神社を訪れることにしたので、食事後、大沢橋に引き返し、林道を下った。なお八菅山への登山路は、大沢橋の向かいにもあり「ドングリの小径」と名付けられている。あおぞら博物館での30分ほどの昼食休憩のあと、12時50分過ぎに再出発した。この間に、2回ほど車が来たが、しばらくして引き返し駐車場は空いたままだった。
沢沿いの林道を下ること7分ほどで、八菅山麓の民家のあるところに着いた。民家の前ではピンクのカワヅザクラが咲き始めていた。そして午後1時、八菅神社の鳥居前に出た。現在は「八菅山いこいの森」の名で、フィールドアスレチックの設備も備えた愛川町の公園として整備されているが、八菅山は修験道の歴史深い山である。「西暦703年、修験道の開祖、役小角がここで修法し、以来、幕末まで大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場として八菅山七社権現と呼ばれていた」とのことだ。明治維新の神仏分離令に伴い、仏教関連はすべて禁止されて、神社として継承されたのが、現在の八菅神社だそうだ。
八菅神社の山麓の鳥居がある場所は標高90m、そして神社は155m余の所に建っている。この標高差65mを真っ直ぐ上る長さ約250m、300段程の階段がある。「破途胸」と呼ばれるそうだ。この階段とは別に、小形車が上がれる車道(女坂)があるが、破途胸の階段を上ることにした。1段1段の高さはそう高くは無いが、最も急な場所の斜度は40度を越える。1段の高さが一定のため、段の幅が狭まり、靴底の長さが収まらない程だった。階段の両脇には、鉄の手摺が付けられていたが、何も無かったら怖いだろう。踊り場もなく続く階段は、さすがに息が上がる。階段脇の登り口近くににはモウソウチクの竹林があり、後はスダジイの巨木が立ち並ぶ。それでも、8分ほどで階段を上り終え、本殿の下の広場のような所に着いた。広場の脇には、護摩堂という額の付けられた小さなお堂もあった。
広場から更に50段ほどの階段を上ると本殿(覆殿)に着く。建物は明らかに神社の建築様式ではなく、寺院に近い。横に長い建物で、本社はこの覆殿の中央にあり、左右にはそれぞれ3社が祀られていることから、七所権現と呼ばれるとのことだった。覆殿の前には多くの絵馬が吊られている奉納用の屋根掛けもあった。新しい絵馬も多く見られた。普段は神職者は居ないが、神事の際には、絵馬やお神籤が売られるのだろう。
1時18分、神社を出て後方に続く八菅山に向かう。麓からの舗装路はまだ続いていて、これを少し歩くと、お花見広場に出る。緩やかな尾根に沿った細長い園地で、周囲に桜の木が植えられており、芝生やフィールドアスレチックの遊具が並び、トイレもある。前述の大沢橋からのドングリの小径はこの広場の西端に登ってきている。お花見広場を過ぎるとやや急傾斜の道になり、高差にして15m程上ったところに、あおぞら博物館奥のトンボの池からのカエデの小径が合流し、ここからは一昨年歩いた道になる。ここから少しの所に、梵天塚がある。竹の囲いの中に、石造りの塚があり、説明板が立っている。梵天塚は「修験道で祈祷に使用する梵天(弊木)を立てたことに因むのであろう」と書かれていた。案内図に拠ると、この塚から東に下る尾根にもやはりフィールドアスレチック遊具のある「やすらぎの広場」があるが、歩いている道からは見えなかった。
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写真は、八菅神社の「破途胸と呼ばれる階段」と「覆殿」
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