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オデッセイ 

2016年02月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 近未来の映画。だけどこんな時代が果たして来るのだろうか。この映画は、宇宙の
ロビンソンクルーソーとも言うべきストーリーだった。いずれは火星にも人を送る
ことになるのだろうけれど、その実現までには、数限りないハードルがある。
偶然にもこの映画を観る前に小説「ロビンソンクルーソー」を、読み返してみたばかり
だった。

 何よりも火星までは遠い。月へ行くよりは遙かに遠い。その月にさえ人類は長く
行っていない。今よりも技術も装備も遙かに劣っていたアポロの時代に月まで行く
ことが、果たして可能だったのだろうか。大いなる疑問が残る。無人探査機を送る
ことさえ難しかった時代に、有人探査機を送り込み、その上、地球へ帰ることさえ
出来たという信じられないような出来事であった。

 しかし、ソ連とアメリカの宇宙開発競争が終わって久しく、有人飛行は全く
行われていない。莫大な費用が必要だとあって、軍事競争が終わり、ソ連邦も
消えてなくなり、アメリカも財政は厳しく費用の捻出は難しいという、それぞれの
国に様々な事情があるようだ。

 今回の「オデッセイ」という映画は、火星移住と言う時代が、いずれは来る
だろうと言うことを想定しての映画だったように思う。果たしていつのことか。

 映画を見ていない人も多いので、ストーリーを書くことは控える。予告編にもある
ように火星探査を行っていた一行の一人が、砂嵐に巻き込まれ負傷したまま火星に
取り残される。そこから物語は始まる。

 生存していくための一番の問題は、空気でも水でもなかった。次の火星探査機が来る
までの数年間を残された食料で食いつないで行かなければならないことだった。彼が
最初に取り組んだのは、基地の中にビニールハウスを作り、火星の土を大量に運び込んで
ジャガイモを栽培することだった。

 そもそも火星探査が生のジャガイモを持って行くのかどうか?。ともかく想定は
生のジャガイモが基地に残されていて、それを種芋として栽培するというもので
あった。そのシーンでの水を作る方法が良く分からなかったので、後にネットで検索して
みると、詳しく書かれていた。要は化学反応を用い水素を発生させ、その水素を爆鳴気に
ならないように酸素と化合させる(つまり燃やす)というものであった。

 しかし、その程度の水で果たしてジャガイモを栽培するのに事足りるのであろうか。
ジャガイモ栽培自体、さして難しいことではない。映画にもあるように肥料があって
水さえあれば比較的簡単に栽培できる。

 作ってみたい人は、今からでも遅くはない。ホームセンターへ行って春ジャガ用の
種芋を買ってきて、大きな種芋なら半分に切り、それを穴に埋めて置くだけで良い。
大きめのプランターだと一個の種芋を半分にし、二本の芽を伸ばして栽培すると
幾らかの収穫はあるだろう。野菜を栽培するのは楽しいことだ。

 しかし、映画の中では、この栽培も何度目かの栽培途中で、大きな事故で壊れてしまい
中断してしまう。その後は救助隊が来てくれるまでの間、如何にして残りの食料を食い
つないでいくかであった。

 いずれにせよ生きて行くためには何が必要か、自分がここにいると言うことを伝える
方法はないだろうか。基地に残された装置や砂に埋もれていた過去の探査機などを掘り
出して使うなど、実に創意工夫にあふれた映画であった。この辺がロビンソンクルーソー
に似ている。

 この映画を見ていて思ったのは、人間の創造力の豊かさと、知恵の豊富さと、希望さえ
捨てなければ、どんなに絶望的な状況の中でも死から抜け出すことが出来るのだと言う
ことを強く感じた。

 人間には計り知れない知恵がある。生きようとさえ思う意欲さえあれば、どんな困難にも
立ち向かっていける。物語の中には、荒唐無稽だと思われるようなことも少なくないが
そこは映画。多少は、そのようなシーンもなければ面白くない。

 こうしてマットデーモン演ずる植物学者は見事に生還するのである。しかし考えてみた
だけでも火星までは遠い。また、火星の環境は厳しい。ここへ移住するくらいなら、地球
温暖化の中で、少しくらいは環境変化が激しくても、この地球で生きて行く方が遙かに
簡単だと感じた次第。

 それだけに、この地球をもっともっと大切にしたい。地球が愛しいと思う気持ちが
更に湧いてきた。地球は、やはり母なる星だと思う。

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