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少し道草 

2015年11月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 尊厳死と安楽死の違い

 写真はカンボジアで野に咲くケイトの花。

 先日、の「少し道草」で、成人になったら尊厳死協会に入り、無駄な医療行為を止め、高齢者医療費の大幅削減に努力しようと提案しました。「尊厳死」は終末期医療で、無意識状態にある患者が再び回復することはあり得ないとを二人以上の医師の診断の基、単なる延命治療をしないことです。当然、意識が明瞭である時、本人の意思を明確に書面で関係者に伝えていることが前提となります。その点、「安楽死」即ち、生存権を脅かしかねない殺人や自殺幇助とは異なります。

 先日、NHKの連読ドラマ番組で「破裂」が放映されました。あらかたの筋はある医師が心臓欠陥の新たな手術手法を発見しますが、結果は心臓破破裂を招くというものです。これに着目した厚生省のやり手官僚が、急増する高齢者の究極的な対策として、大幅医療費削減案としてこの手術を計画的に取り入れ、「ぴんぴんころり」を国策として提案するものです。勿論、ドラマでは高齢者を一人の人間として見るのではなく、人間の尊厳自体を無視しています。見ているだけで腹立たしいものでした。

 昨日も現実問題として報道されていますが、高齢の両親を介護する娘が両親に頼まれ、また、介護疲れもあり一緒に入水自殺したとのことです、ドラマの最後でも演じられるのですが、高齢者が医師に向かって殺してほしいと頼むシーンもあります。また一方、数日前、92歳の瀬戸内寂聴さんが癌手術を乗り越え復帰宣言のインタビューをされ、現在執筆活動に邁進されているとの報道もありました。寂聴さんもインタビューの中で、闘病生活中には死にたいと考えたこともあったと述べられています。自分自身がそのような環境の中でどう判断するか分かりません。

 私の考えは、個人個人が人生をどう生き、自分の生命まで含めてどう判断するかは自由だというものです。意識が無いままに、回復の目途もなく、単なる延命策を取られ、植物人間として生きるることは自分自身の尊厳を無視するもので許すことが出来ませんし、また、家族や世の中のためにならないと考えています。

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