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独りディナー
バイリンガル
2015年11月08日
テーマ:読書
私は、札幌と東京のバイリンガル。
東京出身の父が、北海道の大学に入学して、卒業後に、縁あって札幌出身の母と結婚、私が生まれた。
父には、江戸っ子的な矜持が秘かにあって、家庭での言葉は、いわゆる「東京弁」であった。
まあ、札幌弁と大差はないのだけれど、イントネーションが大きく異なる。
中学二年まで札幌で育った私は、母方の親戚や友人と、父方の関係者とに、どことなく違いの様なものを感じていた。
それは、一般的なものではないのかもしれないけれど・・。
祖父が苦労して築き上げた鉄工所を、長男だった父は受け継がず、一度は進んだN大の工学部も辞めて、北海道の大学に進み数学を学んだのだという。
しかし、生まれ育った環境は職人たちの世界であったし、いっぱしの文学青年でもあった。
中学の友人たちと、同人雑誌等も作ったそうで、その仲間の一人は、角川書店で編集者となり、一人は日活の監督になった。
父は一見、数学を教える大学教師ではあったが、当時の仲間との関係をどう感じていたのだろう・・。
私の記憶にある父は、仕事が性に合っていたのか、作家志望の夢を語ることもあったけれど、それらしき様子は見えなかった。
在京時代に見ていたのかどうかは知らないが、父は歌舞伎が好きで、よくテレビの「劇場中継」を見ていたものだ。
当時の私には、歌舞伎の良さはさっぱりわからなかったけれど、年末の「文士劇」は楽しくて、一緒に見ていた覚えがある。
故郷から離れた父が、何を思っていたのか、知る由もないが。
でも、もしインターネットの時代に生きていたなら、また違った人生があったかもしれない、とは思う。
夜になると、寝酒の様にくつろいだ気分でページを繰っていた「西荻窪閑居堂金物店」は、私にとってどこか、父の世界と共通した空気を感じさせてくれた。
本来の職業に拠点は置きながら、周りの世相をちょっと距離を置いた処から眺めている。
江戸っ子らしく、どうやら短気でシャイらしい。
シニカルさもおありだけれど、私にはそのユーモアが面白い。
特にご自分を、諧謔の俎上に載せるのが、際立ってお得意の様に窺える。
憚りながら、父の持つ雰囲気によく似ていて、懐かしささえ感じてしまった。
父がもし、表現力を持ち合わせていたなら、こんな風に笑わせてくれたかもしれないなあ。
もしも共通項があるとしたら、それは江戸っ子の視線、とでも言えるだろうか・・。
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お江戸、日本橋・・♪
師匠のコメントは、漠然としていた自分の考えを、整理してくださいますね。
父の江戸っ子風は、(祖父は確か、三浦半島の出身でした)サラリーマン的発想ではない気がします。
父は結局、サラリーマンになりましたが、数学の道に進んだのも、志としては通じるものがあると思います。
私が、歌舞伎の中でも「世話物好き」というのは、この辺のDNAにつながるのかもしれません。
師匠の風情は、私から見るとやはり、宵越しの銭は持たねえ、的な気風の良さを感じます。
私の場合は、憧れにすぎませんけれど・・。
2015/11/08 20:27:44
準江戸っ子です
拙著が、お父様への追憶の、よすがになったとすれば、
それは、著者冥利に尽きるというものです。
歌うことの好きな若者が、華やかなステージを、
夢見るようなものかも知れません。
文学の好きな若者なら、その才能の限界を、探ってみたくなるものです。
私も、若い頃、短歌の同人誌に加わり、切磋琢磨を図っていたものです。
しかし、生活のためには、何時までも夢を追うわけにも行かず、
結婚を機に、作歌から離れました。
お父様もまた、もしやという夢を、お持ちになっていたのではないでしょうか。
ネットの時代に生きておられたら、きっと、水を得た魚のように、
ブログ等で活躍されたことと思います。
読んでみたいものです、シシーマニアさんの、今日をあらしめた方の文章を。
私の父は、越後の出身で、若い頃に上京しました。
従って、私は二代目ということになります。
江戸っ子は、この都に三代住まないと、その資格がないそうで、
私はまだ、江戸っ子にはなり切れておりません。
2015/11/08 17:51:20