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バッハの時代 

2015年10月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:音楽

バッハの「平均律ピアノ曲集、全二巻」は、よく旧約聖書に例えられる。


その場合の新約聖書は、ベートーヴェンのピアノソナタ、全32曲である。


両作品とも、ピアノを習熟する者にとっては、避けて通ることのできない作品群ともいうべき金字塔である。


まあ、すべての曲を勉強するわけではないにしろ、その主だった曲は、例えば入学試験だったり、あるいは学生時代には期末試験であったり、さらにコンクールの予備選などで、ほぼ必ず弾いてきた曲である。


バッハの平均律集には、ハ長調の一番から始まってハ短調の二番、そして、嬰ハ長調の3番、嬰ハ短調の4番、という風にピアノの鍵盤にあるすべての音を主音にした長調と短調、全24曲の作品が並んでいる。


しかも、それぞれ「前奏曲とフーガ」のセットで。


更に、ご丁寧にも、第一巻と第二巻があって、計48曲(48セット)



ウィーンで勉強していた頃、リヒテルというソ連の名ピアニストが、一晩で「第二巻」全24曲を演奏したコンサートを聴いた。


それが私にとって、通しで聴いた初めての経験であった。


彼は、第一巻と第二巻をその後、全曲録音しているので、その録音前後の演奏会だったのだろう。


一曲一曲、勉強を積み重ねてきた私たち学生にとって、それは画期的な演奏会であった。


一般発売されたそのレコードは、それから後々も繰り返し聴きながら、私にとっての指標になった。


この名曲集は、いろいろなピアニストが録音していて、私も何種類か持っているけれど、色々な演奏を聴きながら、最終的にはリヒテル・バージョンの解釈に落ち着くことが多い。


長じて教師になってからも、学生たちのレッスンや試験の審査などで、やはり私の人生では平均律とのかかわりが続いていた。


まあ、音大の教師を辞めて以来、昨今は若干のご無沙汰が続いていたのだが。



それが最近、ひょんなことから、平均律とのお付き合いが再開した。

というわけで、現在この平均律を全曲、再度勉強しているのだが、この年になると、曲の見え方が違ってきて、これが中々味わいある経験なのだ。

私が、ショパンの練習曲などと共に、毎週コツコツと平均律を勉強していたのは、大体中学・高校の頃である。

そんな子供に、複雑な構成のフーガという楽曲が理解できるわけもない。

何の理解もなく、今思えばただ音だけで弾いていたのだろう。

難解な曲で、苦手な分野であった。

楽曲分析などに関しては、一時間程度のレッスン時間内に、特に教えてもらった記憶もない。


大学に入って、曲を論理的に分析したり、楽譜の読み方を学んだけれど、多くはその後、本を読んで自分で勉強したものだ。


バッハのピアノ曲は、楽譜の読み方が難しい。


速度記号も、強弱も、フレーズもアーティキュレーションも、指使いも、ほとんど記載されていないからだ。


楽譜上にあるのは、音符だけである。


したがって、この音型は、当時の習慣では、どの様に弾いていたのか等、様々な知識を得た上で、初めて弾くことができる、ともいえるほどなのだ。



当時(昭和30年代)の日本では、原典版よりむしろ、後にピアニストや音楽学者が解釈を含めて編纂した楽譜が、一般には使用されていた。


原典版では、手掛かりが少なすぎて、弾きようがない、といったところだったのだと思う。



合唱曲など一般の人が演奏する機会の多い曲には、比較的丁寧に楽譜を書いているバッハが、なぜ鍵盤楽器のための楽譜には、細かな記載がないのか。


当時はまだ、現在のようなピアノは完成されていなくて、鍵盤楽器といえば、オルガンかチェンバロ、あるいはクラビコードの三種類であった。


当然、それらを演奏する人たちは限られていたし、バッハ自身から直接あるいは間接的に、教えを受けた人たちが主だったので、膨大な数に上るそれらの作品には、特に記載する必要がなかったものと思われる。


それに、バッハ(1685〜1750)の時代には、後の作曲家たち、例えばモーツァルト(1756〜1791)やベートーヴェン(1770〜1827))は、まだ生まれていなかった訳だ。


当然ショパンもいなければ、ブラームスもいない。


つまり演奏する人たちにとって、言ってみれば、バッハの作品にだけ没頭していれば事足りた、ということにならないか。


バッハの楽譜の読み方等、当時では常識ですらあったのではないかと思う。



のんびりとして、教養あふれる時代だったのだろう。



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