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「第三の男」の街を歩いて
2015年10月10日
テーマ:ウィーン
「うきふねさんのブログ」を、今頃になって読ませていただいて、「第三の男」の街を歩いた、思い出を綴ろうかと思う。
子供たちに手がかからなくなった50代、私は春休みに半月位ウィーンに一人で出かけては、音楽三昧の生活を送るという、夢の様な習慣を何年か続けた。
ある年、就職していた娘が途中参加をしたことがある。
丁度その頃は、娘が私の留学時とほぼ同世代だったので、ちょっと母親が青春時代を送った場所を見てみたいと思ったらしい。
私は、喜び勇んで、オペラやコンサートのチケットを手配した。
そして、娘の滞在が終わって、ウィーン空港へ送っていった後。
当然、娘ロス(?)となった私は、まっすぐ市内に戻る気分にもならず、空港から市内への途中にある、有名なウィーンの中央墓地を訪れることにしたのだった。
昔の記憶をたどると、ウィーン行きの電車に乗れば、途中に「ツェントラル、フリードホフ」という駅がある筈だった。
映画、「第三の男」のラストシーンに出てくる、あの広大な中央墓地である。
ガイドブックには、有名な作曲家達のお墓が並んだ区画がある、という記述があった覚えがある。
しかし、その駅で降りたったものの、当然ながら何の案内も見当たらない。
未だ、お昼過ぎ位で時間はたっぷりあったので、ともかく墓地らしい方角へと歩いてみた。
沢山の墓石があった。
でも、だからと言って、私は此処で何をするというのだ・・?
暫く歩いたのち、墓参にきている風の人達に出会って、訊いてみた。
「音楽家達のお墓があると聞いたのですが、どの辺にあるかご存知ですか?」
音楽の都だというのに、大抵の人たちは、「ナイン!」と答えるのみだった。
そうなのだ。彼等は観光客の為に生活しているわけではないのだから・・。
でもゆっくり眺めていると、どうやら富豪の一族らしい大きな墓石が並んでいて、そこには哀悼の言葉が刻まれている一角があったりして、覗き見気分を味わったりするのも、それなりに楽しかったのだが。
そうこうしているうちに、「何処かに、音楽家たちのお墓、というコーナーがあったはずよ」と、やっと光明の見える対応ををしてくれるおばあさん達が居て、何とか聞き覚えのある作曲家たちの墓石を見つけ出した。
でも、だからと言って、墓参の意味を改めて考える位しか、私にはすべきこともなかったのだけれど・・。
昨年の事だが、久々にウィーンの街でゆっくり過ごすことができたので、学生時代によく眺めていたベートーベンの銅像を探したことがある。
下宿していたアパートに近かったから、すぐわかるだろうと地図も持たずに出かけたのが禍して、何度うろついても行き当らない。
その辺を歩いている人に訊いてみるのだが、「ベートーヴェンだって・・?」という人が大半で、更に「ああ、ヴァイオリンを弾いている作曲家か?それなら、市立公園に銅像があるよ」と、ヨハン・シュトラウスと混同している人。
これが音楽の都、ウィーンに暮らしている人たちの現状なのだと、肝に銘じたことがある。
まあ、無事音楽家達の墓参を終えた私は、地元のレストランで昼食をとった。
郊外のレストランは、ウィーン市内に比べるとはるかに安いし、大体が美味しい。
食事を終えて外に出ると、「西駅」と書かれた路面電車を見つけて、乗り込んだ。
路面電車は、バスと違って線路上を行くので安心感はあるし、周りの景色を眺めながら乗っていく楽しみがある。
見知らぬ土地を、電車の窓を通してぼんやりと見渡しながら、ウィーンの西駅へと向かう。
その頃には、やっと娘と別れた寂しさから、気持ちは未知の風景への好奇心に少しずつ移行していった。
ウィーンの西駅からは、地下鉄はじめ路面電車等、行き方は様々あったけれど、私はあえて主要道路のマリアヒルファー通りを歩いて帰ることにした。
ウィーンへの一人旅では、いつも宿は中心街に決めていた。
オペラやコンサートは終了時間が10時半位になるので、そのあと食事をとったりすると郊外の宿に泊まれば、一人で戻るのは寂しすぎる。
オペラハウスから、歩いて帰れる程度の中心街に泊まっていれば、夜が更けた後も、音楽を聴いたハイテンションをそのまま持ち帰ることができたから。
件のマリアヒルファー通りを歩いていると、途中で教会から合唱の声が聞こえてきて、中に入ったりもした。
ディスプレイしている、綺麗なポンチョなどが目に入って、お店の中にも入ったりもした。
歩いていると、立ち止まったり寄り道したリが、思いどおりなのが楽しい。
あの日は、歩きに歩いた事によって、大げさな表現ながら、娘との決別に区切りがつけられた気がする。
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「歩徳」、戴きました
師匠、コメントありがとうございました。
「歩徳」よい言葉ですね。
私も、結構「歩徳」は積んでる方かもしれません。
>「お大師さんの像? ありまっせ、この先の右側のお寺に」
実に納得いきました。私も勿論、区別はつかないでしょう。自分の価値観を相手に押し付けていたのがよくわかりました。
維納は、楽しい都です。
音楽畑にいる者には、何度でも訪れたい場所です。
2015/10/11 21:41:27
楽都維納
歩くからこそ、見えるものがある。
私はこれを、功徳ならぬ「歩徳」としています。
意外に大きいのですよ、これが。
時間があるなら、ゆっくり行こう。
旅は。
そして人生もです。
ベートーヴェンとヨハン・シュトラウスを混同?
おやおや・・・ですね。
楽都とはいえ、市民の全てが音楽に精通しているわけではない。
それを知り、むしろ安心しました。
何処かの寺町で、
「お大師さんの像? ありまっせ、この先の右側のお寺に」
行ってみたら、確かに像はありましたが、それは日蓮上人のそれでした。
というようなものかもしれません。
ウィーンは楽しい町ですね。
それで楽都と言うのかも。(笑)
2015/10/11 07:53:37