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独りディナー
プラハの教会には、広場がない?
2015年07月24日
テーマ:旅
プラハに着いた時は、既に日が暮れていた。
空港から、タクシーで向かった宿泊先は、これから参加するブルノ国際会議の事務局が、手配してくれた場所であった。
夜のせいか、あまり英語の通じないフロントで手続きをしながら、ロビーを見渡すと、様々な格好をした学生風の若い人たちが、ノートパソコンを抱えて椅子や床に座り込んでいるのが見えた。
大きな建物だったが、渡された鍵番号の部屋の前に行ってみると、学生風の男の子が数人たむろしている。
「ダブル・ブッキング・・?」ととっさに思って、部屋番号の書かれた紙を彼らに見せると、幸い中に英語を話す人が居て「ああ、これは番号は同じだけど、別の棟の部屋ですよ」と教えてくれた。
こんな経験も、一人だとさぞ心細いのだろうが、同伴者の気楽さで、私には何でも面白い。
教えられた通りに、渡り廊下や扉をいくつか通過した挙句、やっと清潔なホテルらしい廊下に辿り着き、私たちの部屋が現れた。
寝床さえ定まれば、心置きなくアルコールにありつける。
フロントの人が、地下に行くとラウンジがあって、其処には簡単な食事と飲み物があると教えてくれたので、荷物を開けるとまずは地下へ直行した。
そこで私たちは、初めて有名なチェコのビールに出会ったのだった。
何度もお代わりした挙句、部屋に戻る際にはテイクアウトまでして、バーテンダーのおじさんに笑われてしまったが、美味しさもさることながら、その安さにもときめいた。
ラウンジには、お決まりの様に玉突き台等もあったけれど、数人の学生たちがワイングラスを前に談笑している様子は、静かで品の良い印象だった。
部屋に戻る時も、ロビーにはまだ若い人たちがパソコンを抱えて座り込んでいるのが、見えた。
その場所が、電波の受信状態が一番良いのだろうか・・。
朝になって様子を見ると、ロビーの傍らにはいくつかの会議室があり、その頃には年配の人々が集まってきていた。
其処は多分、一方では学生寮であって、一方では会議等に参加する人々が宿泊できる、大きな施設だったのだろう。
朝食を終えて、地下鉄に乗って仕事に向かう主人とは別れ、私はガイドブック「地球の歩き方」を手にしながら、一人で街を歩き回った。
プラハは、子供の頃からの、憧れの街であった。
只そこを歩いているだけで、十分楽しかった。
プラハには、かなりの数の教会がある。
だが何故か、教会の前にはお決まりの、広場というものが殆ど見当たらなかった。
色々な教会の絵ハガキを見ても、すぐ前に他の建物があったりする。
有名なプラハ城は、お城の門を入ると直ぐに大きな聖ヴィート教会が聳えていて、私は写真を見たときはその尖塔がお城だと思っていた程だ。
広場がない、というのは教会の出来上がり方が違うのだろうか。
一般的には、まず教会があり、その前の広場で市が立ち、教会の鐘の音が聞こえる範囲に人々が住んで、次第に村が出来上がっていく、と聞いていたのだが・・。
都市として発展していくうちに、広場が建物で埋まっていったのだろうか。
それはともかく、聖ヴィート教会のステンドグラスが素晴らしくて、私は翌日夕方になって時間のできた主人を誘って、再度訪れたほどだった。
二日目は、生憎曇り空であったけれど、ステンドグラスの色彩はお天気にはあまり左右されないのか、相変わらずの美しさであった。
夜のカルれ橋が綺麗だと教えてくれたので、お城を下った途中のカフェで、日が暮れるのを待った。
ビールのグラスを前にして、灯してくれたテーブルの上のろうそくの炎を眺めながら、しばらく座っていた。
そうだ、あの頃の私はローソクに凝っていたのだ。
家でも、週末の食卓にはローソクを飾って、キャンドルサービスと名付けては、ジャズのCDを聴きながらワインを飲んでいた頃だ、
初日に主人の訪れた大学では、私も一緒に来訪すると思ってくれていたというので、二日目は喜んで同行した。
説明の内容はチンプンカンプンだけれど、学生さんたちの作った実験機器などを見せてくれたのは楽しかった。
思い切って、超簡単な質問をしてみたら、「なんだ、このおばさん、わかるのか・・?」的な誤解をされて、それから学生たちの態度がすっかり丁寧になったのも、面白かったし。
まだまだ、英語が浸透していない時代だったのだと思う。
夜には、美術館の踊り場の様な場所で行われた、音楽会も聴いた。
主人は、夜はコンサート等より、一刻も早くビールにありつきたい方なので、一緒の旅行では、私も夜の文化には色気を出さないことにしている。
こういった観光客用の簡素な演奏会で、十分満足することにしているのだ。
幸い、天井の高い石造りの美術館は、素晴らしい響きだったので、楽しい時間を過ごすことができたのだった。
それが、ボヘミアの旅。
翌日向かった南部のブルノは、モラヴィア地方に属していて、ボヘミアとは色々な面で、ずいぶん異なるらしい。
私たち旅行者の目には、出回っているビールの違い位しかわからなかったけれど・・。
でも、ウィーンに近いモラヴィアは、ハプスブルグ帝国の影響をかなり受けていて、それを誇りにしている様子も窺えたのだった。
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楽しいと言って下さって、ありがとうございます。
パトラッシュ師匠、コメントありがとうございました。
「プラハの春」
そうでした。ドプチェク大統領ですね。忘れていました。
海外の話題は、中々新聞での追跡が難しくて、そのうち自分の方も忘れてしまいます。
私が出会った人達は「ロシア時代」の前か後か、という表現をしていました。不幸な歴史は、「ロシアンタイム」と、一括りにしている様でした。
東ヨーロッパの人々(彼らは中央ヨーロッパ、と表現しますが)とは、あちらから話題を振ってこない限り、個人的な歴史には触れないことにしています。
私には、勇気がありませんが、そんな話ができるようになったらきっと、友情も芽生えるのでしょうね。
2015/07/24 16:34:34
休憩時のワインも、いいものです。
吾喰楽さん、コメントありがとうございます。
ビールを飲む条件が整えば、それは飲みますよね。
私は、コンサートへも行くけれど、素敵な演奏の時は休憩時にワインを飲みます。
失望したときも、勿論飲みます。
歌舞伎は、飲むとその後は寝てしまいそうなので、終わるまで我慢しますが・・。
吾喰楽さんは強そうだから、ビールくらいでは大丈夫なのでしょうね。
2015/07/24 16:24:36
冷えたビールに乾杯!
彩々さん、コメントありがとうございました。
旅に出ても、家でくつろいでいても、親友はアルコールです。
子供たちが未だ一緒に暮らしていた、大学生の頃かな。
各部屋に、缶ビールの箱を常備して、「ビールは好きな時に飲んでもよいけれど、必ず冷蔵庫に補充する様に」とかたく申し渡していました。
「我が家のビールは、コインの代わりに缶を入れるんだね」と子供たちに笑われましたが。
飲もうと思った時に、冷えたビールが無いときの失望感は、味わった人にしかわかりませんね(笑い)
2015/07/24 16:17:33
さぞ・・・
プラハと言われ、すぐに「プラハの春」を連想してしまう私は、
きっと古い人間なのでしょう。
「中世に変わらぬ街のたたずまい燃ゆる戦車を前景として」
高安国世先生の歌を思い出します。
1968年は、もう半世紀も前のことなのに・・・
美しいのでしょうね、プラハの街は。
行ってみたいと思いつつ、国内の旅から脱せられず、
とうとう行かず仕舞いになりそうです。
シシーマニアさんの見聞録は、読んでいてとても楽しいです。
旅行者の域を越え、生活者の匂いが、そこに漂うからでしょう。
2015/07/24 12:03:14
私も世界中何処へ行っても
この気持ち、解るぅ〜
>ビールのグラスを前にして、灯してくれたテーブルの上のろうそくの炎を眺めながら、しばらく座っていた。
>主人は、夜はコンサート等より、一刻も早くビールにありつきたい方なので、
実況中継を見ているようでした(笑)
2015/07/24 08:46:17