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独りディナー
人生は上々だ?
2015年05月14日
テーマ:思い出すままに
昨日は、演奏家としての恩師の印象に触れたけれど、今日は教育者として近くで見た先生の姿を書きたいと思う。
先生は90歳で亡くなったのだが、前年の秋まで、リサイタルをしていらした。
さすがに、その時は最後かもしれないと思って、私は主人も誘った。
友人達も、同じ考えの人が多かった。
満席の舞台で、先生はシューマンの「クライスレリアーナ」とか、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」というソナタの大曲の、緩徐楽章などを弾かれた。
毎年9月になると、音大では教師たちがそわそわし始める。
その年の、先生のレッスンを受ける予定になっている教師たちは、廊下ですれ違うと「先生に、会いましたか?」という言葉を交わす。
とにかく高齢なので、果たして今年も元気で来日されるかどうか、心配しているのだ。
曜日の関係で、早くに先生に出会った人は、「今年の先生は、一層若返ってる様で、新しいキイワードを繰りかえしてましたよ」等と、皆に伝えるのだった。
「今年は、ドライヴ、という言葉がよく出てくる」と、言った風に・・。
先生のレッスンは、全く学生達と同じカリキュラムで、週一度のペースで進んだ。
教師をしながら社会人である我々にとって、それはかなり大変な日々ではあったが、大体はリサイタルを予定している人が多かった。
私も、最初の年は、リサイタルを控えていた。
ベートーヴェンのソナタ、とスクリャービンのソナタ、それに小品を何曲か・・。
その頃の私は、先生の偉大さに接する喜びよりも、「今更、新しい奏法を学ぶのは、ちょっとかなわないなあ」という、おごった気持ちがあった。
リサイタル前には、先生も余り細部にこだわらなかったし、本番当日は弟子入りして間がないのに、上野の文化会館まで聴きに来て下さったそのお人柄に、驚かされた。
でも、リサイタルが終わった後が、正念場だったともいえる。
今になると、どんな曲を勉強したかは忘れてしまったが、それまで自分の進んできた道を、根底からひっくり返されそうな、そんな気分にとらわれたのだ。
翌年は、レッスンに手を挙げなかった記憶がある。
その一年は、自分自身を振り返った一年だった。
それまで自分は、ひたすらに、がむしゃらに、走ってきた気がした。
でもどうやら、先生の立ち位置は、全く次元の違う処にある様であった。
先生は、ハンガリー貴族の出身だった。
生れた時はまだ、ウィーンの皇帝、フランツ・ヨーゼフの時代だった、とおっしゃっていたことがある。
ハプスブルグ帝国、ナチス、ロシアと強大な国々に囲まれて、東ヨーロッパは悲しい歴史を繰り返してきたのだ。
先生はでも、一切昔のお話はなさらない。
はぐらかすのも、見事なものだった。
幸い私が色々お話を聞いた頃は、80代を過ぎていたので、昔話をなさる事は時折あったけれど・・。
例えば私が、飛行船の発明者、ツェッペリンの生まれたお城に泊まった話をした時も、自分が子供の時におじさんが乗っていたツェッペリン号を見た話をして下さった。
何故日本にいらしたのか、と訊いた時には、子供の頃おばさんが色々な場所に旅行をしていて、その話を聞いて、東洋に関心を持った、とか。
あるときは、ワインを飲みながら、ハンガリーの有名な「トカイ」というワインは来客用でね、普段は、秋になるとジプシーがやってきて、裏のブドウ畑で作った自家製のワインを飲んだものだよ、とか。
いずれにしろ、庶民離れしたエピソードが、ちりばめられていた。
でも先生の人生に、何があったのか、知る由もない。
只、ピアニストとしての、先生の人生観があるだけである。
先生は、虚飾を嫌われた。
社会的な成功、にも無関心であった。
先生とお話していると、いつも無頓着ないでたちながら、人格の高貴さというものが感じられた。
貴族の出身だというのが、納得できた。ご自身は一言もおっしゃりはしなかったけれど・・。
一度、オーストリア・ハンガリー帝国の皇妃であった、エリーザベトの話が出た事がある。
シシーという愛称の皇妃は日本でも人気があります、と私が言うと、驚かれた様子だった。
そんな下世話な話は、先生の耳にまで届いていなかったらしい。
「オーストリア帝国に併合されたハンガリーでも、皇妃だけは特別で、とても人気があったのだよ」と、シシーマニア達にとっては有名なお話を、当事者の口から聞いたのだ。
先生に学んだことは、一言で言えば「リラックス」という事だった。
「オープン、ユア、マインド」ともよくおっしゃた。
とにかく、体も気持ちもリラックスさせて、演奏しなさい。そうすれば、ピアノは美しく響き、音楽も自然に流れてくるのだよ。
何かに真剣に取り組むとき、どうしても意気込んでしまうのが、常ではないだろうか・・。
リラックス。
これは、究極の課題だったと思う。
一年考えた結果、よし出直そう、と私は決断したのだった。
今まで着ていた衣服を脱ぎ捨て、初心からやり直そう。
捨て去って惜しむほどの衣装でもないのだし・・。
でもこれは、40過ぎてそれまで真面目一辺倒で歩んできた私にとって、結構な決断ではあった。
でも今、私のピアノ人生はあの時から始まったのだという、自覚がある。
大変な出会い、であった。
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精進、という言葉も好きです
吾喰楽さん、おはようございます。
コメントありがとうございました。吾喰楽さんも、落語や歌舞伎の舞台等で、一芸に秀でた人達の偉大さに、折にふれ接していらっしゃるのでしょうね。
分野が何であれ、何かを極めるために精進した(あるいは、精進している)人の素晴らしさは、共通しますね。
2015/05/14 10:17:32
さすが師匠は、慧眼ですね!
パトラッシュ師匠、
お説の通りだと、深く頷きました。先生はカトリック信者だとおっしゃっていましたが、仏教思想とも当然繋がっているのでしょうね。日本がお好きだった理由の一つかもしれません。
本質を極めた方の教えは、具体的には音楽を対象にしていても、全てに通じるのですね。
方向性だけでも、真似たいものです。
2015/05/14 10:10:30
のびしろ、いい言葉ですね
Reiさん。コメントありがとうございます。
出会いには、自分の方からも一歩踏み出す必要があるのですね・・。
これからも、様々な出会いを求めて行きたいと思います。
可能性、という言葉にも置き換えられますね。
2015/05/14 09:57:51
人生捨てたもんじゃないですね。
彩々さん、お元気になられて、早速コメント下さり、ありがとうございました。
人生は、出会いで大きく方向が変わりますね。捨てたもんじゃない、とよく思います。
2015/05/14 09:53:59
恩師
おはようございます。
90歳近くまで、現役でいらしたとは凄いです。
曲名は皆目解かりませんが、興味深く読ませて頂きました。
恩師の生き方は、音楽以外の世界でも通じるように思いました。
素晴らしい方と出会いましたね。
2015/05/14 09:15:35
物事の本質を
貴族の出身ながら、虚飾を嫌い、栄達を望まず・・・
というところ、わかるような気がします。
貴族の出身だからこそ、と言い換えてもよろしいかと。
衒学や匠気は、むしろ私達のような、下賤の者が、羨望や欲望の果てに、
つい抱くもの。
先生は、それらに意味のないことを、夙に知っておられたのでしょう。
本質を見極める。
それは「色即是空」に繋がることでもあり、先生には、偶然ながら、
そしてもちろん、意識することなく、
仏教哲学に通じるものが、おありになったのかも知れません。
(思想や哲学は、どの民族においても、似たようなものが、
潜在しているわけでして)
色即是空は、空即是色であり、
先生のピアノの音色は、既にして、その域に達していたのかもしれません。
・・・と、以上、私の勝手な思い込みであります。
2015/05/14 09:14:13
師匠
おはようございます。
尊敬できる師匠に巡り会えると、自分も頑張ろうと思えるものですね。
ある意味、それは幸運だといえると思います。
私も幸いなことに、今までにそんな出会いが何度かあって、頑張ろうと思うことができました。そして、これからもまだまだ勉強、と思っています。
サッカーの本田選手流に言えば「まだのびしろがある」?と、勝手に思い込んでいます(^_^;)
2015/05/14 08:18:47
引き込まれるように
読ませていただき、人生にある「転機」を
見せてもらったようです。
人にはどこかで、大きな転機、小さな転機が
あるものですが、それに気づかず通り過ごし
てしまう人。
気付いても行動に移さない人、色々おられるのを
見ていますが、それは、人との出会いであったり、
一つの言葉であったり…
それをキャッチするかどうかですねぇ。
シシーのこの続きのお話が楽しみ!
2015/05/14 08:16:16