じゃばのひまつぶし

40年前の日記 

2015年02月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし・生活

 何を思ったのか、息子が東京から来て、自分の子供のころのことを聞きたいという。街の雰囲気のいい酒屋で飲む。家内ともいろいろ話して帰ったようだ。
後で自分の名前の意味も知りたいと電話をかけてきたので、押入れを探し古い日記を引っ張り出した。息子が生まれる前から2,3歳のころまでの約40年前の日記。その中に名前を考えた時の字画数や意味、健康に育つよう願いなども記述していた。

 読み返してみたら、ロッキード事件やルバング島で発見された元日本兵将校や粉ミルクが品切れの時のことなども書いてあった。粉ミルクを買うのに苦労した当時を思い出す。高度成長の終わりのころでいろいろな企業でストライキがあった時代だった記憶。働けば暮らしがよくなり、働く場所もあった“昭和”は遠くなったものだ。子供は2、3歳までに一生分の可愛さを両親にくれるというが、まさにそうだった。中高生のころには反抗期のピークで取っ組み合いをしたこともあった。

 日記を息子に郵送したら「すごい!」と言ってくれた。息子も親として同じような思いを経験しているだろうから共感するものがあったのだろう。
息子と二人で飲むなんて照れくさい気持ちもあったが、「親父はよくしゃべってた。結構楽しんでたみたい」と家内に話して帰った。しっかり観察されていた。
息子と飲むのは最初で最後かもしれないな、と思いつつ、自分の父親とは飲むなんてことはなかったなとも振り返る。それももう40年近い前のこと。



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はじめまして

じゃばさん

Yさん、コメントありがとうございました。

私の場合は、幸い結婚するまで両親は健在でした。
就職するときに関東への就職を希望する父親に反発して関西に就職を決めたときのがっかりした顔を思い出します。
それ以来ずっと関西人。
息子には親のことは考えずに行先を決めろと言ったら、東京へ行ってしまい、家内ががっくり。

2015/02/26 19:40:02

初めまして。

さん

当方は10歳にして親父を亡くしておりますので
映画やドラマのような、そういう機会に接する
ことは叶いませんでしたが、息子夫婦とかとの
機会があれば、自分が父なるものを知らずに育
ったことが、息子たちにとって気の毒だったと
思ったりしております。

息子さんとも最後とと言わず、再び機会が有る
ことを願いたいですね。

2015/02/25 18:35:21

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