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人生いろは坂

穏やかに時は流れて 

2015年02月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 忘れかけていましたが、3年数か月前までは穏やかな時が流れていました。それが一変したのは一本の
電話からでした。私に新しく出来る児島市民交流センターで働いてみないかと言う勧誘の電話でした。

 以来、実に3年4か月、私にとっては第二の人生とも言うべき定年後の貴重な時間をこの施設で過ごすことに
なりました。その間、家のことは二の次に全力でセンターの色んな仕事をしてきました。その結果、その成果が
認められ、児島商工会議所・クラレテクノ共同事業体へのセンター委託管理が更に三年間延長と決まったのです。

 大袈裟に言えば寝食を忘れての仕事でした。私は生涯を通して他の人以上の様々なことに当たってきました。
何一つとして与えられた任務の手抜きをしたことはありませんでした。私の性格上、どれもこれも全力投球で
やってきました。そうしたことが、ある人にとっては煙たい存在として映り、数限りない誹謗中傷にさらされた
ことも少なくありません。

 例え心の中では大変だと思いながらも、一方では楽しんでいる自分が居ました。表面的には余裕綽々として
ことに当たる私を見て、嫉妬からか、そんな嫌がらせをする人がいたのかもしれません。しかし、無頓着な私は
そんなことには少しも気が付きませんでした。

 そんな全力投球でやってきた数々の仕事の中でも最も力を注いだのが、この3年4ヶ月の勤務でした。私の
考えていた公共施設の理想的なあり様をひたすら追求してきたからに他なりません。誰でもが平等に恩恵に浴する
べきだと言うのが私の考えでした。

 そして、誰でもが遠慮なく主催者になり、参加者になれるシステムを作る。講師をしたい人には講師をする
機会を、こんな講座を開いて欲しいと言う希望には出来るだけ応えられるように工夫や努力をしてきました。

 そんな中から数多くの自主的な活動が始りました。他から干渉を受けることのない自主的な活動です。こうする
ことがセンターにとっても良いことだと思ったからです。だから私自身の夢を実現して来たと言っても過言ではないと
思います。だから大変だったけれど楽しかったのかも知れません。

 こうして3年数か月が夢のように過ぎ、改めて家の方を振り返ってみると、何もしていないことが山ほどありました。
畑も家の中も3年数か月の澱(おり)のようなものが溜まっていたのです。それらをやっと今、一気に片づけています。
やってもやっても切りがないほど溜まっていました。

 世のため人のために尽くすと言うことは、このようなことなのかと言うことを実感しています。そして物と自分の
あり様についても考えさせられることが少なくない毎日です。人は同時に二つ以上のことをやりこなすことは無理なの
だと言うことを痛感しています。

 出来なかったことは出来なかったで良いのではないか。何もかも完璧にやりこなすことは無理なのではないか。
そう考えるようになってきました。出来なかったことは、それはそれで自分の死で完結する事なのだと考える方が
自然で良いのではないかと昨今思うようになってきました。

 昨今、断捨離等と言うことが盛んに言われ、現に、せっせと自分の生きてきた証のようなものまで捨てておられます。
しかし、それらの行為は全て自分の死後を引き継ぐ孫や子のことを考えての行動だと思います。しかし、自分と言う
存在がこの世の中から消えた時、自分の周辺にあった存在も全て消えてしまうのではないでしょうか。それなら何も
断捨離等と大げさなことを言わなくても良いのではないかと思っています。

 全ては「夢幻のごとく」自分の死とともに消えていくのではないでしょうか。人も物も全ては光なのです。従って
淡々と生き、静かにこの世を去っていく。その時には、自分と言う存在と周辺の全ては消えてしまう存在なのでは
ないでしょうか。それが般若心経に書かれている一節ではないかと思うのです。

 とは言いながら生きてある限り、精一杯生きて生きて生き抜く覚悟です。やがて春が来ます。ブルーベリーの
赤い芽がますます膨らみを増しています。私の一番好きな季節です。全てが冬の眠りから醒め、蘇りの季節です。

 柿の木にしつらえた台の上にミカンを輪切りにして乗せていると毎日ヒヨやメジロたちが飛来します。人の世の
喧騒さとは裏腹に穏やかな悠久不変の時が庭に流れていきます。

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