メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

独りディナー

「ホイリゲ」デビュー 

2015年01月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:ウィーン

先生のお宅は、旧市街を出てから、41番の路面電車に乗り換えて、フォルクス歌劇場の次の停留所を降りた処にあった。

四半世紀ぶりに訪れてみると、入口には奥様の名前が出ていて、ああ、あの家はまだ健在なのだと、とてつもなく懐かしかった。

学校以外では、最も足しげく通った場所。

いや、オペラ座の立見席には負けるかな・・。

電車が走る道路の両側には、ずーっとお店が立ち並び、それらのお店は、真ん中に小さな入口があって、その両側のショウウィンドウに商品がディスプレイされていた。

電車の窓から、次々と通り過ぎるお店を眺めながら、先生のお宅へ向かった日々が懐かしい。

私が師事していた先生は、生粋のウィーン人で、当時既に60歳近かったが、学校でのレッスンが終わると、地下の食堂でビールをご馳走してくださるのが常だった。

一度、日本女性として慎ましく、「今日は、ジュースにします」と言ってみると。

「どうしたんだ?ビールの方が安いんだから、ビールにしょう・・」と茶目っ気たっぷりの表情でおっしゃる。

日本人の事を、よくご存知なのだ。


最初の年。

長い夏休みに入ったら、先生から電話がかかった。

「ピアノの蓋は閉めたままかい?まだレッスンに来ないのは、お前だけだよ」

「えっ?行って良いのですか・・?」とばかりに、沢山楽譜を持って押しかける。

レッスンも終わりに近づくと、「これが、最後の曲かい?」と先生が訊く。

「はい」と答えると、先生はしばしの間キッチンへ消えて、やおらビールの入ったジョッキを片手に現れるのだった。

最初はちょっと驚いたのだけど、先生は「安心しなさい。レッスンが終わったら、お前にも飲ませてあげるから・・」とおっしゃって、ニヤッと笑った。

レッスンが終わるころになると、クラスメートがやってきて、皆で近くのレストランへと繰り出していく。

「シューベルト」という地元の古いお店は、かつて貧しかった事で知られる作曲家のシューベルトがよくやってきて、お店のおじさんがいつもご馳走してあげたとか。お店の名前の由来らしい。


私の住んでいたアパートは、すぐ側に「アウガルテン」という大きな公園があった。

友達の話では、ウィーン少年合唱団の寄宿舎があるらしい。

偶然に出会わないものかと、しょっちゅう散歩には出かけていたが、昔見た「野ばら」という映画の様なわけには行かなかった。

一度、あの建物かなあと、その辺のベンチに腰かけているおばあさんに訊ねてみたことがあった。

すると、「あれは陶器の工場だよ」と、思わぬ答えが返ってきた。

それは「アウガルテン」という薔薇の模様が特徴の、高級食器の事だったのを、後になって知った。


ウィーンの郊外には、ブドウ畑が大きく広がっていた。

グリンツィングという一帯には、新酒のハウスワインを飲ませる、「ホイリゲ」と呼ばれる居酒屋がずらっと並んでいて、今は観光の名所にもなっている。

其処では、ワインを頼むのが当然なので、「四分の一(リットル)の白」とか、「八分の一の赤」と言った注文をする。

ホイリゲでは、ソーセージとハム、それに酢キャベツとローストチキンがメニューの定番だったが、一見デパ地下でも見られる様な簡単な食糧が、場所のせいか、乾燥した空気のせいか、その美味しさは半端じゃない。

でも、分量に応じた大きさのワイングラスに、なみなみと注がれて出てくるお好みのワインは、おつまみが無くても、ぐいぐいっと進む。

夏には、戸外にテーブルが並び、アコーディオンとヴァイオリンをそれぞれ抱えたおじさん達が、側にやってきてはウィーンの民族音楽などを演奏してくれる。

私が、当時ウィーンアカデミーと呼ばれていた音楽大学に無事入学できた暁には、先生やクラスメートたちが集まって、新入生歓迎会をしてくれた。

思えばそれが、私の「ホイリゲ」デビュー。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

来世の希望は、ヨーロッパです

シシーマニアさん

SOYOKAZEさん

ヨーロッパは呑む人にとって、或る種天国ですね。「昼間は控える」どころか、食事にワインはつきものらしいですから。
学生でも気楽に飲める程、又安いんですよ。オペラの立見席も安かったです。貧しい若者たちも、分相応に味わえる文化、という印象でした。

外から見た日本は、残念ながら後進国という感じはぬぐえませんでした。1ドル360円の時代でしたが、経済力というよりも、意識の持ち方が、という気がしました。

懐かしかったのは、日本食です。留学生たちはよく集まって、日本食パーティをしていました。

2015/01/15 16:32:59

ワインも、ビールも安いのです。

シシーマニアさん

吾喰楽さんへ

移住したくなる位、アルコールが安いのです。古い修道院だった地下等に、ワインを飲ませる場所がありました。ワインだけ飲むのです。ちょっと寄って、八分の一(リットル)位ひっかけて、又仕事に戻る、という感じでした。欧米人はアルコールに強いので、飲酒運転もあまり厳しくなかったです。

2015/01/15 16:15:12

思い出は、芋づる式に・・。

シシーマニアさん

若々しい喜美さんへ

若かった頃は何でも新鮮で、記憶にもよく残っています。苦労も多かったはずですが、思い出は美化されて蘇ります。
年を取るのも、良いものですね・・。先輩に対して、僭越ですけれど。

2015/01/15 16:09:44

今度生まれるなら

さん

こんにちは。

私は今まで、もし生まれ変わっても日本に!と思っていましたが、ウィーンも悪くない、そう思いました。

人は大らかでユーモアがあって、ビールはお茶のよう、ワインもなみなみなんて、のん兵衛の私には夢の世界です。(笑)

日本では薄くて割れそうなグラスに、気取ってほんの少し・・・

景色も素晴らしいのでしょうね?
いつかニュージーランドに行った時、日本より小さいくらいの国土なのに、なんとゆったりしているのでしょう!と驚きました。

オペラ座で歌舞伎みたいに立ち見してみたいです。

2015/01/15 11:12:37

ホイリゲ

吾喰楽さん

おはようございます。

行ってみたいですね〜
ハウスワインの飲み比べをしてみたいです。
でも、年金生活では、難しいですね。
想像の世界で楽しんでいます。

段々、筆が乗って来ましたね。
毎日の楽しみが増えました。

2015/01/15 09:42:52

思いだしては

喜美さん

色々思い出して懐かしいでしょう
私は色々行っても観光で 言葉も通じないので唯ガイドさん便り 其れに大昔でうろ覚え 唯貴女の楽しく読ませていただいています

2015/01/15 09:29:15

PR







上部へ