メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

地球一周の旅から10年(4) 

2014年11月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 フィリピンでの滞在は一日だった。朝早く着いて夜遅く出発した。着いた港はスービック港と言い、かつてアメリカ軍が
駐屯していた軍港であった。スービック港周辺の広大な敷地には米軍の施設が数多く立ち並び、一大軍事施設となっていた。
それらの施設の一部は米軍が引き上げてからは現地の施設として活用されていた。

 私たち夫婦が選んだオプショナルツアーはマングローブの生えている海岸の見学と、主としてピナツボ火山の噴火による
被災地の見学であった。ピナツボ山の大噴火から時を経た被災地は落ち着きを取り戻し、一見しただけでは、これが
被災地かと思うような景色だったが、実は全て灰の下に埋まった状態で、その前の姿を知らないものには、こんなもの
かと思わせるような景色だったのである。

 しかし、その被害面積たるや広大で、ピナツボ山が高さ数百メートルも陥没するほどの火山灰を噴き上げたのである。
噴き上げられた噴石や粉塵の量は膨大なものであったに違いない。現に、私たちが訪れた教会は半分が埋まった状態で
今は二階部分が教会施設として使われていた。

 また、若い兵士がカービン銃を手に完全武装で監視していた橋は既に何度も流されて架け替えたものだとのことであった。
大雨の度ごとに繰り返される土石流のため簡単に壊されてしまうのだと言うことであった。土石流には現地の人達も手を
焼いているようであった。この橋が架かった道路は重要な道路だったようで厳重な警備をしていたのだった。私たちが
この橋を訪れた時はサトウキビの収穫期だったのだろうか、サトウキビを満載にしたトラック等が何台も走っていた。

 自然の驚異をまざまざと感じさせる荒涼たる景色が川の周辺一帯に広がっていた。この灰の下には何軒もの民家が埋没
しているのだとの事であった。かろうじて屋根だけを残して後は埋まってしまった民家もあった。

 私たちがここまでくる道路周辺は田舎の景色が広がり、収穫を終えたばかりのモミが道路上に干されていた。何となく
私達の子供の頃の田舎を思い出させるような景色で、懐かしさがこみ上げてきた。忘れかけていた日本の発展前の景色で
あった。

 フィリピンでは私たちと同世代の夫婦が一組降りて行った。友人の勧めもあって、これからフィリピンに住むのだと
言うことであった。その移住計画は定年前から始まっていたようで、既に何度か現地に足を運んで住む家も完成して
いるのだとのことであった。船上での生活は、わずかの期間であったが既に友人も出来、そうした友人に送別会まで
開いてもらい降りて行った。

 この集まりの時に色んな人が乗り合わせていることを知った。ある人は亡くなった主人の写真を見せながら、定年に
なったら一緒に旅行しようとう約束をしていた矢先に急逝したのだと言うことであった。ある人は健康を損ね健康を
取り戻すために船旅を選んだのだと言う人もいた。様々な人生を乗せて船は日本を旅だったのである。

 さて、船の中では早朝から夜遅くまで連日、様々なことが行われている。のんびりとした船旅を想像される方も
多いかと思うが決してそうではない。水先案内人と称する講師が何人か招待され、その講師を中心に水パと称する
水先案内人パートナーと言うものが集まり、講師のサポート役となる。私も早速、水パとなって若い仲間に加わった。
その時に一緒だった若い仲間が、今も友人として交流が続いている。考えてみれば実に長い付き合いとなる。これも
人生の出会の一つであろうか。

 一方、船内行事としてはウエルカムパーティなるものが開催され、船長を初め、この船の主だったクルーや私たちを
終始エスコートしてくれたピースボートスタッフ、通訳兼語学講師のCCなどスタッフ全員の紹介があった。この時
ばかりはドレスコードもあって、正装で会場へ臨んだ。会場は全員が入り切れないので二組に分かれていた。

 そして乗り込んで間もなくあったのは救命胴衣などの付け方訓練だった。ほんの形式的なものであったが船の旅行なら
ではの訓練だった。

 船はいよいよベトナムに向かっていた。時速30キロそこそこのスピードだが洋上を走行するときは常に風を切って
走っている。従って、デッキに上がると常に風が吹いていて心地よい。船の舳が波を切るたびに散るようにトビウオが
逃げていく。国内からそのまま着いてきたセキレイが未だにデッキをうろうろしていた。

 実は日本を出発して間もなくの頃、不吉な連絡が入った。新潟で大地震が発生したと言うニュースだった。新潟からの
人もいたらしく、最寄りの寄港地で慌ただしく下船したとのことであった。しかし、立ちはだかっていた大型台風も
難なくやり過ごし、船は至極順調に航海を続けていた。目指す寄港地はベトナムのブンタウ港であった。

 次回はベトナムに付いて書きます。このブログを読んでくれている同乗者の方々、思い出をお寄せください。折に触れて
掲載していきたいと思っています。人が違えば当然目にしたものも感じ方にも差があると思います。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ