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人生いろは坂
あの世とこの世
2014年10月26日
テーマ:テーマ無し
人はあの世とこの世を何度も何度も行き来していると言われています。むろん信じる信じないはその人の自由です。
こうした研究が最近になって急速に進み、それは超近代科学の「量子」と言うものからも論じられています。
この世とは、むろん今生きているこの世界のことです。物質と言うものを介して見たり体験できる素晴らしい世界です。
苦労や苦しみはなくても、変化の少ないあの世と違い、この世はスリルと冒険に満ちています。それも自分の意識の
あり様によって様々に姿を変えると言う摩訶不思議な世界です。まさにバーチャルリアリティの世界なのです。
だから人間は、この世の魅力に取りつかれて何度も生まれてくるのです。この世での悪人は悪人だけでは物足りず
今度生まれて来るときは善人体験がしたくて生まれてきます。その気にさえなれば何度でも、そしてどんな体験でも
思いのままに出来るのです。
しかし、残念なことに(?)自分がなぜこの人生を選択したのかはこの世に誕生した時に忘れています。と言うか
この世に生を受けるときの交換条件のように過去生は捨てさることになっているのです。だからこの世に生まれた時には
過去に出会った人でも全く記憶にないのです。
それはその方が良いのです。過去の人間関係をそのままにこの世に生まれてくると様々なトラブルが生じてしまいます。
男は女に、女は男に、そして過去には親だった人が今度は逆に子供になって生まれてくることもあるのです。
こうしたことは何のために行われているのでしょう。宗教関係者は学びのためだと言うかもしれません。その辺の
事情は良く分かりませんが、何かしら深い理由があるような気がします。あるいは単純に退屈しのぎの遊び(プレイ)
かも知れません。
いずれにせよ、この世は冒険と不思議に満ちています。その気にさえなれば、どんなことだって体験できるのです。
大金持ちになって自由気ままに世界旅行でもしようと思えば、その通りになるのです。
さて、人生は自分が主役の舞台だと言います。人それぞれが主役ですから、千人いれば千の舞台(ストーリー)が
あると言えます。仏教でいうところの曼荼羅とは、そのようなことを指しているのかもしれませんね。
70億人近い人の人生が様々に重なって、それぞれが主役の物語を演じています。当然のことながら、その人にとって
善人ばかりでは芝居になりません。芝居を面白くしようと思えば悪役も必要になってきます。その人にとって毛嫌いする
ほどの悪役が演じられるのは、相手も相当の役者だと言うことが出来ます。
舞台にせよ、テレビドラマにせよ、悪役が居てこそ見応えのあるものになります。それと同じように個々の人生においても
悪役は絶対に必要なものです。悪役が居なければ芝居は実に平凡で面白くないものになってしまいます。
人生はこのように敵役(かたき)など様々な人がいて初めて成り立つものです。しかし現実に於いてはなかなか受け入れ
がたいものです。そのことに気付くのは、そうした嫌な思い出が過去のものとなってしまったとき、そういえばあの時
そんなことがあったなあと懐かしく思い出されるものかも知れません。恩讐の彼方にという言葉が胸に響きます。
人生を達観出来るようになると、こんなに魅力的なものはありません。退屈で仕方のないあの世と比べると何とこの世は
魅力にあふれているのでしょうか。美人もいれば善人もいる。それが自分の意識のあり様によって実現するという不思議さ。
これこそが、この世の魅力なのです。
従って、この世で生きていくための最大の手法はマイナスイメージを払拭(ぬぐいさる)することです。捨て去ることです。
いつも明るく楽しいことばかりを考えているとそれは早晩実現します。
あのディズニーの雪の女王のように、ありのままに生きていくことこそ幸せを掴むことが出来るのかも知れません。
人生は深く悩まない方が良い。それがバーチャルな世界に生きている私たちの幸せな生き方だと言えるかも知れません。
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