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人生いろは坂

運命(さだめ) 

2014年10月06日 外部ブログ記事
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 「まことに、この小さき島国はその昔より天災と言うもの多く、この列島に暮らす限り人々は、繰り返し襲ってくるこれら天災と
共生しなければ生きてはいけなかった」司馬遼太郎の「坂の上の雲」流に書けば、このような表現になるのだろうか。

 3年前の3月11日に東日本各地を襲った大地震と、それに伴う大津波、その後の相次ぐ集中豪雨とそれに伴う土砂災害、突然の
御嶽山の噴火、そして休みなく襲ってくる台風、この国はまさに天災の国だと言っても過言ではなさそうだ。それがこの小さき列島に
住まうものの運命(さだめ)でもある。打ちのめされては立ち上がり、立ち上がっては打ちのめされる。この国の歴史はその繰り返しで
あった。

 そして、それは今も、またこれから先も続くことになるだろう。私達日本人はその繰り返しの中で命を紡ぎ繋いできた。そもそも
日本列島と言う地理的な位置づけも誠に奇妙である。奇妙な形の列島が大陸の端にちょこんと鎮座ましましている。そしてその形は
昔からタツノオトシゴに例えられるような形をしている。日本列島の島それぞれを地球に配置すれば諸大陸となると言っている人がいる。
さながら本州はユーラシア大陸であろうか。そして九州は北海道は四国はどの大陸になるのだろうか。考えてみるのも面白い。

 江戸末期から明治初頭にかけて日本を訪れた外国人たちの誰もが、人なつっこい日本人についてそれぞれの旅行記に書き残している。
夏の事なら裸同然の姿で人々は屈託なく、いつもニコニコと笑顔を向けてくれる。そして、そうした身なりとは裏腹にやさしく礼儀
正しいと書いている。

 ある旅行好きな西洋の女性などは、お供も付けず東北地方を旅している。それほど治安の面での心配もなかったと言うことであろう。
そして彼らが旅してきた東南アジアのどの国よりも清潔で居心地が良かったと書いている。

 繰り返す天災、それにもくじけることなく立ち上がり復興への槌(つち)を握る。こうした中から日本人特有の死生観が生まれ
我慢強さが培われてきたのかも知れない。なのに今の日本人にはなぜこうも我慢が足りないのだろうか。そして何かあれば他に
責任を転嫁し、援助を求めようとする。そして自分勝手で他人のことを思いやると言うかつての美徳を忘れてかけている。自分さえ
良ければそれで良いと言う間違った個人主義に取りつかれている。

 さて、私たち夫婦は久々に旅をしてきた。まさに18号台風と19号台風の狭間に於ける3泊4日の北海道旅行であった。
早くから計画していても計画倒れになることが多く、今回は思いついたが吉日とばかりに、そさくさと大まかな旅の予定を立て
函館から小樽、そして札幌と回ってきた。

 道南の黄葉は始まったばかりであった。しかし暑くもなく、さりとて寒くもなく丁度良いくらいの気温であった。着いた日に訪れた
トラピスト修道院、そして五稜郭、函館山からの夜景、そして裾野の教会などの古い建物は夜になるとライトアップされ、それはそれは
美しかった。

 そして翌日の小樽運河での夕景と夜景、ここでも伝統的な建物はみなライトアップされていた。江戸時代から栄えた港町であった。
翌日は勧められるままにニシン御殿を訪ねてみた。かつてニシンがどれほどの富をもたらしたかを今に伝える壮大な建物であった。
古をたどればここのニシンは波頭を越えて私達の故郷である下津井にももたらされたものに違いない。何かしら不思議な縁を感じる
建物であった。むろん、この浜に昔のような賑わいもなくうらぶれた港町であった。

 札幌は時計台から大通公園、旧北海道庁の建物、翌日の北海道大学構内散策と全てのスケジュールは前倒しで最終日の時間を
もてあますくらい順調な旅であった。幾枚ものデジタル写真が手元にある。これからはこれからの写真展の出展には事欠かない
ものとなりそうだ。それにしても持参した二台のデジタルカメラの威力はすごく、いずれも多機能でありこれらをフル動員すれば
どんな写真でも取れそうだ。

 それにしても中国や韓国をはじめとするアジア系の旅行者が多い。日本人観光客より多いくらいだ。各国の言葉がどこの街でも
飛び交っている。彼らの目に今の日本はどのように映っているのだろうか。

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