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人生いろは坂

見えぬものが見えてくる 

2014年10月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 一段と秋らしくなってきたと思っていたら夏のような蒸し暑さ。こんなことを繰り返しながら秋は深まっていくのだろうか。
我が家の果樹畑では栗が収穫期を終えようとしている。毎朝、落ちている栗を拾うのがここのところ日課になっている。
とても我が家では使いきれないので、欲しい人には配っている。

 しかし、栗も一時に集中して落ちてしまうと後はわずかばかりが残っている状態だ。どうやら今年の収穫期は終えたようだ。
それにしても昨年に引き続き今年も大豊作だった。その上、虫が入ったものもほどんどなく収穫量も多かった。本当に
ありがたい話である。自然の恵みに感謝の日々である。

 栗は収穫下ばかりの時はあまり甘くない。しかし冷蔵庫に入れて一か月か二か月すると甘くなってくる。試してみて欲しい。
また、栗の皮は固くて剥ぐのが大変だ。その上、渋皮まで付いている。だから食べたくても敬遠されるのかもしれない。
しかし、ネット上には様々な方法が掲載されているので参考にしてほしい。とにかく季節の味覚だから大切に味わいたい。

 さて、今日は人の意識について考えてみた。人はあることに集中すると、とても不可能だと思えるようなことを可能に
してしまう。そうした力、能力が幾多の発見や発明を生み出し、更には素晴らしい芸術作品を生み出してきた。夢幻だった
ものを現実のものにしてしまうという素晴らしい能力を有している。

 どうやら、こうしたことを現実のものとしてしまうのは、体の働きと言うよりは脳の働きによるものらしいと言うことが
明らかになってきた。そして、それを可能にするのがくじけることなく続けていく努力。そして計り知れない集中力である。
これら全て体の機能と言うよりは脳の働きによるものだ。従って、スポーツと言えども脳の働き、つまり脳のプレイなしには
成しえない。優れたスポーツマンは優れた脳力者だとも言える。

 日ごろの練習では素晴らしい記録を残せるスポーツマンもオリンピックなどの大舞台では惨敗と言うことも少なくない。
これも気持ちが委縮し筋肉がうまく機能しないことによるものだ。従って、いかにして平常心を保ち精神を集中させるかで
勝負は決まる。苦手意識は必ず敗退に通じる。かく言う私も様々な苦手意識で出来ることが出来なかったと言う苦い経験を
幾つも味わっている。

 人間は誰でも一様に優れた能力を有している。それなのに優劣が生じるのは結局、精神的なものに左右されているからに
他ならない。そして優れた能力は一様ではない。勉強は嫌いだがこれなら誰にも負けないと言う人は少なくない。実は、
能力にはその人の思考が関係している。人の思いが不可能なものを可能にする。だから勉強が出来ないからと言って卑下する
ことはない。人は人それぞれに役割を担って生きている。

 昨日は所用があって丸亀に行ってきた。丸亀は児島と古くは江戸時代から深い関係のあった土地である。その昔、金刀比羅と
児島の瑜伽の間には信仰を通じての深い結びつきがあった。瑜伽を出たものは舟で海向こうの丸亀に向かった。丸亀を出たものは
瑜伽に向かった。金毘羅大権現と瑜伽大権現の両参りと言う信仰からであった。

 しかし、両地の行き来は絶えて久しい。信仰が薄れてしまったからだ。また、交通手段も海上から瀬戸大橋へと移って
しまった。今は琴平行の直通電車に乗ればわずかに18分で行けるところだ。私の家から電車で岡山へ行くよりは近い
と言うことになる。

 その丸亀だが以前に訪れた時より寂れていた。駅前から丸亀城方面に向かう商店街のどの通りもいわゆるシャッター街に
なっていた。ある通りはアーケードを撤去中であった。むき出しになった通りの空を見上げると太い高圧線が通りに沿って伸び
遠目には鉄道の高架橋が走っているようにも見える光景であった。実はシャッター街のこの景色、地方の街では良く見る光景で
ある。

 地方を立て直すのが安倍政権の次の目標になっているようだが、かくも寂れた地方を立て直すのは容易なことではない。
ましてや都会に出た若者たちをどのような手段で呼び戻そうと言うのだろうか。街の駅に立ち寄ったところ、集まってくるのは
高齢者ばかりである。これが地方の現実ではないだろうか。

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