みょうが徒然

十年日記の後悔 

2014年08月03日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ずっと昔の小さい頃から、怒りや悲しみは、喜び以上に文字にして発散させて来た。
両親に理不尽と思う事で叱られたり、姉に意地悪をされたりすると、自分の部屋にこもって泣きながら怒りをノートにぶつけた。

ある日、少なくとも十年以上前、常日頃欲しい欲しいと思っていた十年日記をついに購入。厚くて立派な表紙の日記帳をしばらく抱きしめて、一人感動したことを覚えている。

この日記帳が書き終わる10年後には何がどれだけ変わっている事だろう。娘は大学を卒業して、どこかの企業に就職しているだろうか。もしかしたら結婚まで書くようになっているかも・・・。そして両親は?私は?
それからは1日分たった3行の中に、またまた心の機微を思いっきり注入の毎日になった。

そして10年が経ち、日記帳は全てのページを埋めて役目を終えた。それからまた数年が経ち、たまたま何かの整理のついでに日記帳が目に留まり懐かしくなってページを開いてみた。

どれだけ懐かしく思うだろうと、期待を胸に読み始めてみたものの、最初の何文字かを目にしただけで当時の事が瞬く間によみがえって来た。
読んでいる内に気分は暗くなり、気持ちが悪くさえなってきた。理由は私の書き方にあった。
私にとってこの日記帳は自分の排泄物と同じだったのだ。

その頃母も必要に応じては、大学ノートに1行メモを書きつけていた。そこには心の内など一切書かれておらず、買った物の場所や値段であったり、旅先と旅館名が書いてあるだけだった。当時の生活と今との比較がとても興味深かく、家族が集まった折にはいつも盛り上がった。

それに比べて私の日記はほとんどが恨み辛み、自分の感情を吐き出すためのものだった。読んでいて楽しいはずがない。結局そんな排泄物を私の死後、人目にさらすわけにも行かず、ビリビリに破り捨てたのだった。

当時はそれでどれほど気が済んだのか思い出せないけれど、結果として私は、十年日記の使い方を間違えたなあとつくづく思う。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

良く解りました、10年日記・・

ミルフィーユさん

こんにちは。
私も時々ですが、書くことがありますが、むしろ意識的に自己分析や状況分析といった類です。

書くことによって客観的に自分の位置を確認できることもあり、有意義だとは思っていましたが、確かに排泄物的な要素はありますね。

この記事を読んで、古い物の確認をしなくては、と思わせられました。
書くことを辞めなくても良いと思いますが、一年ごとに残すべきかどうか、確認した方が良いのですね。

2014/08/05 14:45:52

ハナコおばさん様

みょうがさん

ブログを読んで頂きまして有難うございます。
10年日記って3行or4行枠が縦に10あるので、書こうとすると、否が応でも同じ日の以前の出来事が目に入ります。結局は書き終わるまでに9回目にすることになるんですね。ですから終わったところで懐かしさが無い!!と言う事にもなった様に思います。

2014/08/03 22:19:59

初めまして

ハナコおばさんさん

このブログを拝見しまして、そういえば私はどのくらい日記を書いているんだろうと、引き出しを開け
調べてみましたら、ちょうど10年でした。
内容を見ると、ほとんど自分の体調の悪さの記録から始まって、心の機微が多かったです。
何年も前のことでも、その文章を読むと、当時のことが蘇って来ます。
でも、書くことによって、心の整理をしていたようにも思います。
でも、この日記、これからどうしましょうね。(*^^*)

2014/08/03 17:33:11

明かりさんへ

みょうがさん

そうですね。きっとその時々で心の整理が出来ていたのではと思いたいです。今は母と同じようにメモに徹しています。でも本音もやっぱり書きたくて。このブログに書ければ良いのですが・・・。

2014/08/03 15:01:20

みょうがさんへ

さん

私も今ちょうど、7年日誌の再読をしていて、
読み終われば廃棄するつもりです。
私のは4行ずつです。
私の場合は事実を記したメモ代わり、
でもその中にはチラチラと本音の感情も。
あ、これは家族にも読まれたくないと思っています。
みょうがさんは、その時々で内面の整理をされたので、
意味があったのでは?

2014/08/03 10:52:22

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ