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人生いろは坂

ありがとうと感謝の心 

2014年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 日本では昔から言葉のことを言霊などと言って、とても大切にしてきた。口から発せられる言葉は
その人の人となりを表すからだ。しかし昨今、子供たちの言葉を聞いているととても聞くに堪えない
ような言葉を使っている。

 私たち世代が子供だった頃は、男子は男子、女子は女子らしい言葉遣いだった。相手を呼ぶときに
呼び捨てなどはしなかった。女子から男子へ呼びかけるときは何々君とか何々さん、男子から女子に
呼びかけるときは何々さんが普通だった。

 今の子供たちはお互いに呼び捨てだ。そして、いつの間に女生徒が胡坐をかいて座るようになった
のだろう。多くの女生徒が平気で胡坐をかいている。世の乱れは言葉や生活態度にも表れ、生活態度は
世の乱れに通じているような気がしてならない。

 如何に自由な世の中とはいえ一定程度の規制や生活指導は必要なのではないだろうか。そう思って
いるのは私だけであろうか。親や学校は何をしているのだろうか。

 さて、五日市剛さんと言う方の名前を聞かれたことはあるだろうか。五日市さんは学生の頃に旅行で
訪れたイスラエルで不思議体験をされている。そのことを友人たちに話したところ、聞いた友人の一人
が録音をしていて、その録音が次第に広まって、いつしか講演依頼まで来るようになったとのことである。

 その不思議体験は下記のサイトに今も掲載されているので興味を持たれた方はぜひとも読んで頂きたい。
これを馬鹿げた話だと受け取るか、いやいやそういうこともあるかもしれないと受け取るかは詠んだ人の
自由であるが、似たようなことは確実にある。

ユダヤ人のおばあさんが教えてくれたツキを呼ぶ魔法の言葉 – 五日市剛

上の文字をコピー&ペーストしてみてください。


 実はこの話とよく似た話がハワイ島に古くから伝わる「ホ・オポノポノ」という話に似通った部分が
あるので簡単に触れてみたい。

 人間は赤ん坊から成長して大人になるまでの間に様々な経験をする。そして両親を初めとする多くの
人と巡り合うことになる。それはその人にとって成長するのに欠かせない、とても貴重な経験の数々であ
る。

 また、生まれたばかりの赤ちゃんはとても自由奔放でわがままだ。おっぱいが欲しいと言って泣き、
おむつが気持ち悪いと言って泣く。実は泣きわめくことによって自らの意志を伝えている。お母さんや
お父さんのことなど一向にお構いなしで泣きたいときに泣いている。

 いくら母親だって忙しい時などに泣かれると、ついついイライラしてしまう。それでも止めることは
ない。こうした状態が三歳ころまでは続く。この間に育児ノイローゼになる母親も少なくない。色んな
育児書を読んでもこれが決定的なものだと言うようなことは何も書いてない。

 俗に親は子に育てられると言う。何故か。実はこうした経験を通して自分と言うものを見つめなおす
チャンスを与えられているからだ。確たる羅針盤のないままに子育てを続けていく中で、自分を育てて
くれた両親のことなどを思い出し感謝の心が生まれてくる。

 子どもが生まれてくるまでは自分と伴侶だけだった中に赤ん坊と言う存在が割り込んでくることで
世の中は自分の思うようには決して行かないものだと悟るようになる。こうして未完成だった人間は
少しずつ成長していく。全ては気付きのチャンスなのだ。

 こうしたことを考えるだけでも自分が何何の意味もなしにこの世に生を受けたのではないことが良く
分かる。この世に生を受けたことは全てに意味があることなのだ。むろん多くの人の中にはそのことに
気付かないままにあの世に旅立ち、再びこの世に舞い戻ってくる人も少なくない。

 チベットの仏教書の中には、この辺の事情を輪廻転生として詳しく書かれている。関心を持たれた
方は是非読んでみて貰いたい。

 話は少し横道に逸れてしまった。こうしたこの世に生を受け赤ちゃんから大人になるまでの記憶は
様々な形で心の中に深い澱(おり)のようになってたまっている。この澱のようなものをインナー
チャイルドと呼んでいる。直訳すれば内なる幼子と言うことにでもなるのだろうか。

 内なる幼子とは何だろう。この解説はさておき、このインナーチャイルドがともすれば頭を持ち
上げてくる。そしてそれが日ごろの行動に表れてくる。時には心を曇らせ見えるものを見えなくして
いる。

 人間が本来持っている素直さが失われてくる。天衣無縫な赤ちゃんを真っ白とすると何度も汚された
状態が今の私たちだと言うことになる。このインナーチャイルドを何とかなだめすかしてやると、それまで
見えなかったものが見えてくるようになる。素直な心を取り戻すことが出来る。

 腹立たしいことがあっても、これも気づきのチャンスだと感謝する心が持てるようになる。それが
気付きであり、その次のステップにも繋がってくる。全てのことにありがとうと素直に言えるように
なると怒っていた相手もその怒りの矛先の持っていく場がなくなってしまう。

 五日市さんは、その言葉を感謝の言葉とありがとうだと伝えている。そして絶対に汚い言葉を
使ってはいけないと戒めている。汚い言葉は相手を傷付けるだけでなく自分にも跳ね返って来るからだ。

 ホ・オポノポノでは「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」と繰り返し
心の中で呟くように言っています。意味など考える必要はないようです。ただ呪文のように「ありがとう
ごめんなさい、許してください、愛しています」と言えば良いようです。

 そうすることが幼いころから溜りに溜まってきた心の中の幼子を優しく包むことになるようです。
幼いころからの体験が過酷であればあるほどインナーチャイルドは強い反抗心を持っています。
その幼子の心を慰めてやることによって頑なだった自分の心が解きほぐされていくのではないでしょうか。

 「ぼくは、わたしは本当はあの時、母さんに優しくしてほしかったんだ」その思いが深い澱となって
心の中に溜まっているのです。今はただ優しくごめんなさい、許してくださいね。今も変わらず愛して
いるよ。ありがとう。そう心の中に声をかけてやってください。そうすればいつしか穏やかな自分に戻って
行きます。そして五日市さんのように思うことが必ず実現するようになるという不思議が待っています。

 それは私自身の体験の中ではっきりと言えることです。そしてもう一つ、私自身が感じている
ことなのですが、思いついたら吉日、迷わずに行動することです。つまり直観力、この直観力の中に
秘めたる力があるような気がします。どうやら気付かないだけで人間は優れた能力を持っている
ようです。しかもその能力は全ての人が共通に有しているもののようです。神は平等にこの世の中を
作り給うたと言うべきでしょうか。

 そしてもう一つ、肉体の繋がりは遺伝子と言う原始から連綿と続くものの中にありますが、肉体は
あくまでも精神、心、魂と言うものの乗り物に過ぎません。しかし、乗り物は似通ったものに見えて
魂は個々それぞれのもの、例え親兄弟と言えども関係はありません。

 肉体は魂にとって仮の拠り所、夫婦がそうであるように互いに異なる一個の独立した者同士が互いに
寄り添って生きているのです。そう考えると親が子を思うように出来ないことも、全く異なる生活を
してきた夫婦が新しい二人の関係を築いていくことが出来ることも理解できるような気がします。
私はそのように考えていますが皆さんは如何でしょうか。

 ありがとうと感謝の心。心の平穏を取り戻すために・・・。

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