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人生いろは坂
引き寄せ
2014年06月19日
テーマ:テーマ無し
引き寄せとは言いえて妙である。この年になったのだからもう書いても良いだろう。とかくこのようなことを書くとオカルトの類だと
受け取られ、初めから取り合おうとしない人も多い。その反面、妙な神頼みに走る人が少なくないのも事実である。矛盾している。
さて、引き寄せには良い引き寄せもあれば悪い引き寄せもある。悪い引き寄せに陥ると止めどもなく悪いことが連鎖反応のように続く。
俗に言う「貧すりゃ鈍する」というやつである。こんな言葉が今日まで伝わっているというのも昔からあったことだからであろう。
毒のある言葉は、その言葉を聞かされた人だけでなく、その言葉を発した人も傷ついてしまう。言葉は俗に言霊と言われるように
生き物と同じである。単なる言葉と侮るなかれ。悪い言葉は必ず自分に跳ね返って来るから使わない方が良い。言葉は木霊(こだま)の
ようなものかも知れない。だから言霊(ことだま)なのだろうか。
悪い言葉は必ず悪いことを引き寄せる。悪の道に走った人は負の連鎖を繰り返し、我とわが身で災いを引き寄せている。従って、幸せに
なろうと思えば他人にも優しく自分にも優しくなければならない。しかし、人間はとかく愚痴や妬みを抱きやすい。愚痴や妬みは我と
わが心を腐らせてしまう。
この世に誕生したものは誰でも幸せになるように生まれている。それなのに何故幸せになる人と不幸せになる人が出来るのだろう。それは
先ほどから述べていることに他ならない。幸せになれる人はくよくよと考えず常に前向きな人が多い。心の中に不平や不満を溜めないこと。
他人は他人、自分は自分と言う確たるものを持ちたい。みんなそれぞれの人生を生きているのだ。
それは前世からの約束事かもしれない。あるいは何度かブログにも書いたように幾つかある人生を自分なりの選択によって、この人生を
生きてみたいと生まれてきたからかもしれない。それにしては何故不幸な人は不幸な人生を送らなければならないのか。幼くして命を失って
しまうのか、疑問は尽きない。ともあれ今は解き明かすことの出来ない謎のようなものが残る。いずれ明らかになる日が来るに違いない。
仏教では輪廻転生が当たり前になっている。そして様々に転生し、人にもなれば馬や牛にもなる。従って、馬や牛に生まれたくなければ
この世にあっては善行を積まなければならない。お金持ちは盛んにお寺に寄進をした。貧乏人はひたすら善行を積むように努力をし神仏に
手を合わせてきた。昔の人は心から神仏を頼り生きてきた。
今は科学が最優先の世の中である。そして精神より物質が重んじられている。しかし、ほんの百数十年前は物質より精神面が重んじられた。
人類の歴史の中で科学だ物質だと言う時代は、ほんの百数十年に過ぎない。それはひたすら消費するだけの時代であり、消費によって物質浴を
満たしてきた。果たしてそれで満足できたのだろうか。物質にもお金にも心満たされるという限度がない。
心は物質やお金では満たされないのだ。今や自然回帰の時ではないのだろうか。もっと精神面での充足によって社会を変えていきたい。
そして科学が万能ではないことを早く気付くべきではないだろうか。この宇宙は科学だけでは論ずることの出来ない深遠なものである。
それをうまく解き明かしているのが般若心経だ。般若心経を読み返すたびに、その奥行の深さに驚かされるのである。そして現代科学が
求めているその先にあるのが般若心経の世界ではなかろうかと思うのである。究極の科学がたどり着く先にあるのが般若心経に書かれた
世界ではなかろうか。
引き寄せは人の引き寄せばかりでなく物も引き寄せる。物にも心があるという人もいる。真偽のほどは定かではないが、この世の全ては
電磁気力を初めとする様々なエネルギーによって構成されている。人が肉体と言う乗り物を借りて生存しているのも宇宙が持っている
ごく当たり前のエネルギーによるものである。肉体を構成している原子は人間だけが特別なものではない。そのことを考えると人も物も
区別はない。
ともあれ目先の事だけでなく、もっと心の目を開いてみてみると、全く異なった世界が見えてくるから不思議である。
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